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ボーダフォン富田副社長に聞く
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10年後のドコモ逆転に向けて、PC事業での経験を生かす
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7月16日付けで、ボーダフォン(ソフトバンクモバイル)の営業担当副社長に就任した富田克一氏。NECのPC事業の陣頭指揮を執り、その後、子会社のNECフィールディング社長に就任。今年6月に同社社長を退任するとともに、7月には電撃的にボーダフォン入りした。NECグループに在籍した約35年の間に、開発、販売(マーケティング)、サポートと、コンピュータのライフサイクル全般に携わった経験は、「多くの人が経験できるものではなく、この経験がボーダフォンのビジネスにも生かせるはず」と、富田副社長は語る。富田副社長に、ボーダフォンの事業展開などについて話を聞いた。
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ボーダフォン(ソフトバンクモバイル)執行役副社長 営業・マーケティング統括 営業担当 富田克一氏
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――なぜ、ボーダフォン(ソフトバンク)入りしたのですか?
富田氏
今年4月19日に、NECフィールディングの社長を辞任することが決定したのですが、正直なところ、このままビジネスマンの人生を終えてもいいのか、という気持ちはありました。あと1年か、2年は、NECフィールディングの社長として、こういうことをやりたいということも考えていましたし、突然、引退するということに対して、気持ちの整理がつかなかったんです。顧問という形で残ることもできましたが、そんな中途半端な形では仕事をしたくなかった。その2日後に、社長の孫とマイクロソフトの日本法人設立20周年記念パーティで会う機会があり、そこで、退社することを伝えたところ、孫からの回答はひとこと、「グッドタイミング!」(笑)。4月26日にNECフィールディングの2005年度決算発表があり、その日の夜に、改めて、孫と、宮内(ソフトバク取締役兼ソフトバンクBB副社長で、ボーダフォン副社長の宮内謙氏)と一緒に会食をし、そこで、孫の夢を聞き、私の想いを伝えました。孫からは、「10年後にドコモを抜きたい。それに協力してくれ」と言われました。孫からの要望はそれだけでしたね。具体的な役職や仕事は、なにも提示されなかったんです。
――しかし、富田さんは10年間やるつもりはないですよね(笑)。
富田氏
年齢的に10年やると72歳になりますからね。まぁ、現実的ではないでしょうね(笑)。ただ、自分のビジネスマン人生における大仕事という意味では、大きなチャンスをもらったと思っています。全力を尽くして、チャレンジできる場をいただいたことには大変感謝をしています。
――ボーダフォンでは、営業担当副社長ということですが、これまで、直接的な営業経験はないですよね?
富田氏
NECでは、大型コンピュータとパソコンの技術畑で21年、その後、マーケティングで8年です。そして、NECフィールディングの社長としてサービス事業に取り組みました。ただし、マーケティングのなかでは、営業的な役割も担っていましたから、そこで間接的に営業経験があったといえるのではないでしょうか。NECのなかでも、技術(開発)、マーケティング(営業)、サポートと、ライクサイクル全般に渡って、しかもそれを第一線で経験した人物はほとんどいないはずですよ。古いお付き合いのあるマイクロソフトやインテルの方々からには、技術者という印象が強いようですが、孫や全国の販売店の方にはマーケティングという役割の印象の方が強いようですね。こうしたITに関するライフサイクル全般に携わった経験が、ボーダフォンでも活かせると考えています。
――長年、コンピュータビジネスを担当していただけに、携帯電話事業会社の雰囲気には違和感があるのでは?
富田氏
いや、違和感はまったくありませんね。むしろ、NECに在籍していた時に、大型コンピュータ事業からパソコン事業に異動した時の方がカルチャーショックがありました。大型コンピュータはマラソンの世界ですが、パソコンは、100メートル全力で走ったら、また、数分後に次のレースがあるというようなものです。なにしろビジネスの速度が違う。パソコン事業部門から、大型コンピュータの仕事のやり方を見ていると、「のんびりしていて、いいなぁ」と思えるほどですよ(笑)。パソコンの世界には20年間どっぷりと浸かっていますから、その速度は身に染みています。携帯電話事業も、同じ皮膚感覚で仕事ができると思っています。だから、ボーダフォンの副社長の話があったときも、すぐに働かせてくれ、と言いました。宮内は、「10月からでいいですよ」と言ってくれたが、少しでも間が空いたら感覚が鈍ると思ったんです。第一線にいるまま仕事を継続したい。ですから、NECフィールディングを正式に退社してから、1週間後には、汐留(ボーダフォンの本社)に出社しましたよ。社内の雰囲気という意味では、まわりにいる人がPC業界と一緒ですから(笑)、その点でも違和感がないですね。孫、宮内のほかに、マイクロソフトの社長をやっていた阿多もボーダフォンにいる。PCソフトを開発していた人が、携帯電話向けのコンテンツを開発するようになっているし、販売している量販店もパソコンと同じ人たち。ボーダフォンの携帯電話を開発しているメーカーも、東芝は、パソコン事業で鎬を削った西田厚聰さんが社長だし、松下電器はTRONをやっていた櫛木好明さんがパナソニックモバイルの社長として陣頭指揮を執っている。昔の仲間ばかりなんですよ(笑)。
――営業担当副社長として、まずはどんな手を打ちますか?
富田氏
9月末までは免責期間(笑)。とはいえ、すでにいくつかの手を考えています。10月1日に、ソフトバンクモバイルに社名を変更し、さらに10月24日には、モバイルナンバーポータビリティ(MNP)の開始も控えている。現時点で、具体的な施策に言及するわけにはいきませんが、MNPはボーダフォンにとって、ビッグチャンスですから、この機を活かしていきたい。ボーダフォンは、3社中の3位。裏を返せばいろんな手を打てるポジションにあります。これはやりがいがありますよ。PC事業をやっていた時には、PC-9800シリーズが50%を超えるシェアを持っていたわけですから、とにかく守る苦しさを経験しました。守る方は、全体平均的な取り組み、あるいは全方位戦略で守らなければならない。これは大変なことです。だが、攻める方は重点戦略、あるいは一点突破というやり方もできる。そこを突破口に切り崩しを図ることもできる。トップシェアを経験したからこそ、No.1のドコモがやろうとしていることも手に取るようにわかるんです。私は、これまで「攻める」という経験が少ないですから(笑)、実は、この立場が楽しくて仕方がないんですよ。
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「Softbank」のロゴが入った端末を手に
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――性格的には攻める方があっていると(笑)。
富田氏
今だからいいますが、大学を卒業する時に、富士通に入りたかったんですよ(笑)。それは、NECがトップメーカーであり、富士通が2位だったから。どうせやるならば追う立場の方が面白い。それが、入社してしばらくしたら、富士通が逆転してトップになった。よし、という気持ちになりましたよ。今もその時と同じように、攻めることに対して強い気持ちを持っています。10年後にドコモのシェアを逆転するという夢に向かって、MNPはその第一歩ということになります。
――中期的にはどんな手を打ちますか?
富田氏
携帯電話事業の販売戦略は、ちょうど転換点が訪れようとしています。PCの黎明期には、まだPCは説明商品でしたから、全国にNECマイコンショップを作って、じっくりと説明をしたり、実際に商品を触れる場を作りました。しかし、その後、普及段階に入り、量販店で購入するパターンが多くなってきました。今、携帯電話もそういう世界に入ってきています。それに向けた体制づくりをしなくてはなりません。そこで、営業本部を大きく3つの組織に切り分けました。それぞれに専門性を持って、販売店を開拓し、販売店を支援していく必要があります。ボーダフォンショップも、今ある1,800店舗を、ドコモショップの2,400店舗に追いつけばいいという問題ではなく、どうしたらユーザーにもっと便利に活用してもらう店舗にするかが重要なんです。私自身、全国をまわり、営業の最前線の立場から、ソフトバンクブランドの携帯電話の販売網強化を図っていくつもりです。
MNPに対しても、まだ戦うために十分な準備が整っているわけではありません。インフラ整備もまだまだ不十分ですし、製品開発やコンテンツやサービスでも、さらに強化していく必要がある。インフラ、製品、サービスという点でもすべてに営業は関連していきますし、営業からもさまざまな提案をしていきたいと考えています。
10年後にドコモを抜くためには、5年後にはどうしたらいいか。そのためには3年後はどうしたらいいか。そして、今はどうするか。9月中には、まず来年3月までのプランを描き、それをベースにした戦略を打ち出すことになります。そこに私の経験を生かしていきたいと思います。業界の勢力図を大きく変えて見せますよ。
■ URL
ボーダフォン
http://www.vodafone.jp/
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(大河原克行)
2006/09/20 15:14
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ケータイWatch編集部 k-tai@impress.co.jp
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