特集:ケータイ Watch20周年

端末、サービス、多くの人と出会った「ケータイ Watch」との20年

 2020年4月、20周年を迎えたケータイ Watch。「おめでとうございます」というお祝いの言葉と共に、「ありがとうございます」という感謝の言葉を贈ります。

ケータイ Watchと共に歩んだ20年

 筆者にとって、ケータイ Watchの20年は、まさに「共に歩み、共に成長した20年」だったと言える。

 ケータイ Watchの創刊は、2000年4月だが、筆者は元々、僚誌「PC Watch」でモデムやISDN TA、ルーターなどの通信機器、携帯電話やモバイル端末などを扱う連載を持っていた。

 そんな中、当時、新媒体を企画していたインプレスの工藤弘江氏から「今度、モバイルの媒体をやるんで、こっちでも書いてくださいよ」と言われ、ケータイ Watchの前身である「モバイルセントラル」で連載をスタートさせた。モバイルセントラル創刊から半年後、ケータイに関連する記事の反響が多いことから、「ケータイ Watch」として、リニューアルすることになり、それが20年(2021年4月で丸21年)、続いたことになる。

 ちなみに、20年前と言えば、まだ紙媒体の雑誌も数多く出版されていた時代で(今もたくさん出版されていますが……)、筆者は同じインプレスの「DOS/V PowerReport」をはじめ、パソコン誌や情報誌などで記事を執筆していた。しかし、比較的早くから「PC Watch」で連載をスタートさせ、その反響などから「いずれはネット媒体が主流になるんだろうな」と考えていたうえ、筆者自身の興味がパソコンからモバイル機器、なかでも携帯電話へ移行しつつあったこともあり(今もパソコンは楽しいけど)、自然とケータイ Watchでの仕事が増えていった。

 ケータイ Watchでの20年を振り返ると、いろいろなニュースや出来事が思い浮かべられるが、あまりにも話題が多いので、今回は「端末」を中心に振り返ってみよう。

個性的な端末が楽しかったケータイ時代

 ケータイ Watchが20周年を迎えた昨年春。国内ではアナログ方式から数えて5世代めとなる「5G」サービスの提供がスタートしたが、ケータイ Watchが創刊された当時の2000年は、「3G」サービスが開始する前だった。

 当時の携帯電話会社はNTTドコモ、au(KDDI)、J-フォン(現在のソフトバンク)、ツーカー(現在のKDDI)で、PHSのDDIポケットやアステルなどもサービスを提供していた。NTTドコモは3Gサービスの割り当てを受け、2001年5月から世界初の3Gサービスを開始するべく、準備を進めていたが、開発の遅れから、FOMAの正式サービスの開始は2001年10月にずれ込むことになった。

 W-CDMA方式を採用したFOMAは、従来の第二世代のPDC方式を採用した「mova」とまったく別のサービスで、周波数帯域も違えば、当初は両方式に対応する端末もなかった。

 そのため、movaからFOMAに乗り換えると、いきなりエリアが狭くなり、つながりにくくなってしまうような状況だった。

 そういう事情があることを十分にわかったうえで、筆者は名刺にも刷っていたメインの電話番号をFOMAに切り替え、サービス開始時に発売されたNEC製端末「FOMA N2001」を使っていた。当然、場所によって圏外になったが、「これで編集部の原稿催促から逃れられる」などと冗談を言っていた。

 このFOMA N2001はいつものように、首からネックストラップに提げて使っていたが、サービス開始から間もない頃、街中で買い物をしていると、見知らぬ人に「あっ、あの人、FOMA使ってる!」と指をさされたことがあった。当時は「そんなに目立つのか」と驚いたが、実は、このときに指をさしていたのは、後にいっしょに仕事をする業界でも著名なライター氏で、本人としてはまったく悪気はなく、後に「いや、だって、あの当時、首からFOMA提げてる人なんて、居ませんでしたから」と釈明された(笑)。

 端末だけでなく、サービスと紐付いたものとして、印象的だったのは、J-フォン(現在のソフトバンク)の「写メール」、その初号機となるシャープ製端末「J-SH04」(2000年11月発売)だ。

 「J-SH04」と写メールの話題は、昨年、ケータイ Watchと同じく20周年を迎えたこともあり、いくつかの媒体で取り上げられていたので、ご覧になった方も多いだろう。今でこそ、「世界初のカメラ付き携帯電話」や「あの『写メール』を生んだ~」などと評されているものの、発売当初はカメラ付き携帯電話の可能性がなかなか認知されず、写メールのキャンペーンがスタートする2001年夏まで、苦戦していた。

 つい最近も「写メール」生みの親である高尾慶二氏(当時のJ-フォンの移動機開発部長)から「○○、持ってません?」と問い合わせがあったが、この「○○」はちょっとしたレアもの端末の「J-SH04B」のことだ。

 実は、J-SH04が企画された当時、J-フォン内で「もし、カメラ付きが売れなくてもカメラなしモデルがあれば、カラー液晶搭載端末として売れるはず」という判断の下に、J-SH04からカメラモジュールを取り去ったカメラなし「J-SH04B」というモデルが販売された。しかし、その予想は杞憂に終わり、「J-SH04B」はレアな端末として、一部で流通したのみとなった。高尾氏の問い合わせは、20年を迎えた写メールの関連番組のため、旧知の関係者に端末を所有していないかを問い合わせてきたものだった。

 サービスと結び付いたものと言えば、はじめて電子コンパスを搭載したPanasonic製端末「C3003P」とauのナビゲーションサービス「eznavigation」もインパクトがあった。

 個人的に、早くからカーナビゲーションを愛用していたので、当時は「ケータイでナビゲーションできちゃうのか」と感心していたが、今やカーナビが劣勢になるほど、スマートフォンを利用したナビが広く利用されている。

 また、ケータイ時代に個人的にも思い入れが強かったのは、カシオ計算機製「G'zOne」シリーズだ。その名の通り、同社製の腕時計「G-SHOCK」シリーズをモチーフに作られた元祖タフネスケータイで、2000年2月に初代モデルの「G'zOne C303CA」がauから発売されている。実は、初代モデル以上に気に入っているのが2005年発売の「G'zOne TYPE-R A5513CA」で、折りたたみデザインを採用しながら、防水を実現したモデルだ。

 当時の開発者インタビューで、上下のボディをつなぐ配線が通るヒンジ内が水に濡れても問題が起きない構造(ケーブル)を苦労しながら開発したと聞き、感心したことを覚えている。以前にもコラムで紹介したことがあるが、筆者の手元には折りたたみデザインのG'zOneの最終モデルとなった「G'zOne Type-X」が今でもプリペイド端末として、稼働している。

グローバルブランドが存在感を増したスマートフォン時代

 ケータイが主役だった2000年代に対し、2010年代は一気にスマートフォン全盛の時代となった。しかし、ケータイ Watchの20年を振り返ってみると、2000年代半ば頃に、印象的なスマートフォンがいくつも登場している。

 たとえば、シャープ、ウィルコム(現在のソフトバンク)、マイクロソフトが共同で開発したシャープ製「W-ZERO3」もそのひとつだ。

 Windows Mobileを搭載したスマートフォンで、発売時にはウィルコムストアのサーバーがつながりにくくなったり、家電量販店に問い合わせが殺到したりと、たいへんな人気を集めた。その後、2010年1月発売の「HYBRID W-ZERO3」までモデルを重ねたが、iPhoneやAndroidスマートフォンの登場と入れ替わるように、終焉を迎えた。

 少し変わったところでは、カナダのBlackBerry(当時はResearch In Motion)が開発した「BlackBerry」シリーズも面白かった。

 BlackBerryというと、QWERTYキーボードを搭載した端末と捉えられがちだが、本来はBlackBerryネットワークサービスを使い、企業のグループウェアなどと連携することで、オフィスのビジネス環境をモバイル端末で実現したモデルだった。今となっては「Google Workspace」や「Microsoft 365」などのクラウドサービスが当たり前だが、当時としてはネットワークサービスとの連携がユニークで、個人的にも愛用したスマートフォンのひとつだ。

 こうした初期のスマートフォンに対し、2010年頃から新しい世代のスマートフォンとして、「iPhone」シリーズやAndroidスマートフォンが一気に拡大していく。iPhoneについては改めて説明するまでもないが、ケータイ Watchとしては、2013年9月に初めてNTTドコモが扱うことをいち早くお伝えできたのは、印象的な出来事だった。

 ライバルのサムスン製「Galaxy」シリーズも次々と新機能を搭載し、楽しませてくれている。なかでもSペンを搭載し、スマートフォンに「手書き」という新しい楽しさを加えた「Galaxy Note」シリーズは、個人的にもお気に入りのシリーズだ。

 この他にもデジタルカメラとスマートフォンの融合を目指したパナソニック製「LUMIX CM1」、スマートフォンのカメラの可能性を追求したファーウェイ製「HUAWEI P20 Pro」など、印象的なモデルはいくつもあり、ここでは紹介しきれないほどだ。

 少し残念なことは、ケータイ時代からスマートフォン時代に移行し、NECカシオやパナソニックといったビッグネームが国内向けモデルの開発から撤退したことが挙げられる。その結果、ますますグローバルブランドの存在感が増したが、シャープやソニー、京セラ、富士通といった国内メーカーも着実にユーザーから支持される優れた端末を作り続けており、これからもますます市場を楽しませてくれそうだ。

20年を支えた出会い

 端末以外のことについても少し振り返っておこう。

 ケータイ Watchが20周年を迎え、このコラムを書くにあたり、過去の記事や出来事を振り返ってみると、ケータイ Watchによって、いろいろな人たちとの「出会い」に恵まれた20年だったことに改めて気づかされた。

 たとえば、筆者が携帯電話に興味を持ち、取材をしはじめた頃、何度もお世話になったのが当時、DDIセルラーを担当されていた髙橋誠氏で、現在はご存知の通り、KDDI 代表取締役社長だ。昨年もKDDIのLinkForestという施設でインタビューをさせていただいたが、お話をうかがうたび、いろいろな新しいこと、新しい視点を気づかせてくれる。

 NTTドコモも前の代表取締役社長で現在は取締役特命担当の吉澤和弘氏、その前任の加藤薰氏には、何度もインタビューをさせていただき、さまざまなことをご教示いただいた。筆者は一応、長く業界を取材しているが、所詮、一介のフリーランスライターに過ぎず、そんな筆者をケータイ Watchと共に、個別取材に対応していただけるようになるとは、20年前は思ってもみなかった。

 また、前述の高尾氏をはじめ、各携帯電話会社やメーカー各社、関係各社の担当者の方々にもたくさん取材などでご対応いただき、さまざまな情報を教えていただいた。撤退したメーカーの担当者やすでに携帯電話会社を退職されたり、転職された方もいるが、今でもSNSなどを通じて、やり取りをさせていただいている。

 ケータイ Watchのご縁が思わぬ仕事を生み出したケースもある。筆者は現在、同じインプレス内のImpress Watch Videoで「法林岳之のケータイしようぜ!!」という動画コンテンツに出演しているが、この前身は2002年から約6年間、当時のインプレスTVで公開していた「ケータイなら、オレに聞け!!」という番組だ。当時はまだ動画コンテンツのメディアが少なく、携帯電話のことを取り上げる番組もほとんどなかったが、ケータイ Watchの延長線上ということで、本誌の二代目編集長の湯野康隆氏といっしょに、ケータイ関連のニュースを紹介していた。

 ところが、あるとき、広く普及しはじめた携帯電話を解説するテレビ番組を制作できないかと考えたNHKのディレクター氏が各携帯電話会社に相談したところ、あるキャリアの広報担当の方が「テレビで携帯電話を説明できる人ですか……。あ、インプレスという会社で携帯電話の動画をやってますよ」と答えたため、筆者のところに話が来て、2004年、2005年、2007年の3シーズンに渡り、NHKで「趣味悠々」というシリーズを担当させていただくことになった。

 また、誌面には名前しか登場しないが、ケータイ Watchのスタッフ諸氏もユニークな人たちばかりで、いろいろと勉強をさせてもらったり、助けてもらったりしながら、いっしょに楽しく(時にはツラく)仕事をさせていただいた。

 なかにはすでにインプレスを離れ、他媒体などで活躍されている方もいるが、いずれ劣らぬツワモノ(くせ者?)ばかりで、こういう人たちがいたからこそ、個性的なケータイ Watchが成立しているんだと痛感することが多かった。ちなみに、ケータイ Watch創刊当時のスタッフで、現在もケータイ Watchを担当している人はいないが、前述の湯野氏はトラベル Watchの編集長を務めており、今年4月からはグルメ Watchという新媒体を起ち上げるそうだ。筆者が関わるかどうかはわからないが、こちらも機会があれば、ぜひ、ご覧いただきたい。

 そして、ケータイ Watchの20年で、もうひとつ大切な出会いは、読者や視聴者のみなさんとの出会いだろう。これは格好つけでも何でもなく、20年前からは想像できないほど、読者や視聴者のみなさんを身近に感じるようになってきたからだ。

 かつては雑誌に記事を書いても読者の反応を知ることはほとんどなく、Web媒体も編集部に届いたメールなどで、どんな感想があったのかを編集担当から伝え聞くくらいだった。ところが、スマートフォン時代に入り、SNSが普及し、本誌の記事にはTwitterやFacebookなどのリンクが貼られたことで、読者や視聴者のみなさんの反応をダイレクトに見られるようになってきた。SNSのコメントを見て、「書いて良かった」と思うこともあれば、「うーん。そう受け取られたか。そういう意味じゃないんだけど……」と思ったり、一喜一憂しながら読んでいる。時には心ないコメントに傷つくこともあるが(泣)、めげずにいろんな人たちのお役に立つ記事を書いていこうと自戒している。

 とまあ、長くなったが、ケータイ Watch20周年に寄せて、共に歩み、共に成長した20年の一部を紹介させていただいた。これからも読者のみなさんのご期待に添えるよう、楽しい記事、役立つ記事、骨のある記事を書いていきたいと考えております。ケータイ Watch共々、やさしい目で見守っていただきながら、ご愛読いただければ、幸いです。