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KDDI社員が派遣される南極・昭和基地で何をしている? 企画展を元隊員とともに見てきた

 KDDIは、同社の企業博物館「KDDI MUSEUM」(東京都多摩市)で、南極観測をテーマにした企画展「空が見えれば、どこでもつながる 南極観測の世界展」を11月1日まで実施している。料金は、一般が300円、大学生以下は無料(要学生証)。事前に来場予約が必要。

 同社では、南極にある昭和基地を中心に実施されている南極観測を衛星通信(インテルサット衛星など)で協力しており、毎年同社の社員1名が国立極地研究所(極地研)に出向し、観測隊員として約1年間南極に出向いて対応している。

 この企画展では、実際の観測隊員が約1年間の南極生活で何を行っているのか? どのような役割があるのか? といったことがわかりやすく紹介されている。なかには、南極までの道中の“船の傾き”や、南極での“ペンギン観測”を体験できるコーナーも用意されており、子供が楽しめる仕掛けが用意されている。

 今回は、実際に南極に“観測隊員”として出向いたLoco Partners(KDDIグループの旅行代理店)の三井俊平氏とKDDI ビジネス事業本部 ソリューション推進本部の中村映文氏とともに、企画展を巡った。

左からLoco Partnersの三井俊平氏とKDDI ビジネス事業本部 ソリューション推進本部の中村映文氏。それぞれ第63次、第64次南極地域観測隊員として南極観測に携わった

日本から船で40日

 KDDIは、南極観測を実施する極地研が実施する入札に参加し、衛星通信設備のメンテナンスを請け負う形で、南極観測に参加している。このメンテナンス要員として、KDDI社員が派遣される形となるため、通信設備が故障した際は、1人で対応しなければいけないうえ、南極という厳しい環境下での生活となるため、健康チェックや研修など、南極へ出発するためにさまざまな準備を行う。

 同社では、派遣される年の前年の11月くらいから要員の社内公募が実施され、書類審査や面接のあとに候補が決定する。その後、極地研での健康チェックなどが実施され、晴れて隊員として極地研に出向する形となる。その後、KDDIで衛星通信設備のメンテナンスの方法に関する研修や、極地研の冬山での訓練などを行い、南極へと出発する。

 観測隊員は、12月下旬ごろに昭和基地に到着、翌々年の3月に日本に帰る約1年4カ月程度の期間活動する。新隊員は、昭和基地まで観測船「しらせ」で向かい、「しらせ」が南極に停泊している約3カ月間に現隊員と新隊員の引き継ぎを行い、基地にいた隊員は「しらせ」に乗船し、帰国の途につく流れとなる。

ライブカメラの調整なども役務の1つ

 平年では、「しらせ」は途中オーストラリアのフリーマントルに寄港し、隊員は日本とオーストラリア間は飛行機で移動し、「しらせ」に乗船しているのは、オーストラリアと南極の間だけだが、新型コロナウイルスの影響で三井氏と中村氏は、日本から南極まで約40日間、船だけで移動したという。

南極までの40日間
観測船「しらせ」

 外洋を航行しているため、船が大きく動くこともある。特に、南極の手前では、特に大きく揺れるといい、最大で左に53度、右に41度(2001年)傾いたこともあるという。展示では、それよりも“マシ”な30度の傾斜が再現されており、過酷さを体験できる。

傾斜30度を再現したコーナー(左)も。中村氏は「実際には左右に揺れるので、歩けないということはない」と語るが……

 なお、三井氏と中村氏は、隊員として派遣される前年は“バックアップ要員”となっていた。三井氏は、2021年~22年はバックアップ要員、22年~23年は観測隊員として、中村氏は2022年~23年はバックアップ要員、23年~24年は観測隊員として任務にあたったという。

「しらせ」は南極の氷を自重で押しつぶしながら移動する。氷の上に乗り上げながら進むかたち

30人の越冬隊による生活

 「しらせ」には、およそ300人が乗船しているが、その中には三井氏や中村氏のように南極の冬を越す「越冬隊」と、12月~2月の夏季期間だけ任務を行う「夏隊員」がいる。多くは、2月までの夏隊員で、実際に3月以降昭和基地に残るのは30人ほどだという。夏隊員や任務を終えた越冬隊を乗せた「しらせ」を見送ると、10カ月後の12月まで「しらせ」がやってくることはない。感動的なセレモニーが開かれそうだが「あっけないもの」(中村氏)で、淡々と時は進みおよそ30人の越冬隊との共同生活が始まる。

 越冬隊30人の中には、三井氏や中村氏のように協力企業から出向してきた隊員のほか、極地研の募集に応じた観測隊員もふくまれている。メンテナンス業務や観測業務などを日々こなし、休みは毎週日曜日の完全週休1日制となっている。

ペンギンを観測することも。展示では、実際の観測方法を体験できるコーナーが設けられている

 また、基地内でもそれぞれ分担が決められており、隊長という役職付の隊員や、持ち込んだビールの在庫を管理する「ビール係」といったものまで任命される。三井氏はビール係を務めたといい、隊員全員が任期まで平等にビールを楽しめるよう在庫を管理したという。

 基地内では、インテルサット衛星により外部と通信できる。観測業務以外にも隊員向けに帯域を配分しており、それらはKDDIからの隊員が担っている。狭い帯域を隊員全員が公平に利用できるようにしなければいけないため、気を遣う部分だったという。時折、ほかの隊員から帯域を分けて欲しいと依頼されたり、「自分だけ広い帯域を割り当ててるのではないか」と疑いを掛けられたりしたこともあったというが、たとえば時間帯を決めて配分を拡大させたり、動画コンテンツのダウンロードを代表して実施したりするなど、極力ストレスがたまらないような仕組みをとったという。

昭和基地周辺

ブリザードの中のメンテナンス

 風速30m/sを超えるなど、悪天候になると、外出禁止令が発布され、原則基地から外出することはない。一方で、「悪天候の時に限って故障する」(中村氏)と、悪天候のなかで機器のメンテナンスで外出しなければならないこともある。

 中村氏が遭遇したトラブルでは、ほかの隊員から「ネットが使えない」と声を掛けられたことから始まり、基地からおよそ400m離れた衛星アンテナまで修理に向かうことになったという。悪天候時に外出する際は、ガイドとなるロープに命綱を繋ぎ、2人1組になって安全確保しながら移動するようになっており、同伴する隊員は特に決められていないという。先述の中村氏の場合は、使えないと声を上げた隊員に同伴してもらったそうだ。

昭和基地から衛星アンテナまでは400mほどの距離がある

南極での生活

 読者の中でも、南極での生活がどのようなものか想像できない方が多いと思う。南極での拠点となる昭和基地の中は、当然暖房が効いており、越冬隊には各々個室が割り当てられる。

 一方、夏隊員や交代する前の新越冬隊は、昭和基地からやや離れた場所にある建物で、4人1部屋の共同生活を送ることになる。この建物は、過去の昭和基地で使用していた住居棟を移設したものだといい、生活はできるものの、ネット環境が脆弱(昭和基地は光ファイバー配線、この建物はVDSL配線)であったり、トイレや厨房設備が無かったりする。

夏隊員たちが過ごす宿舎の場所

 南極での夏となる12月は、最高気温が0度を超えることもあり、「日本の寒い地域よりも暖かい」ことがある一方、冬には-20度程度に、もう1つの観測拠点「ドームふじ基地」では-50度程度の非常に厳しい環境になる。外出時は当然着込むが、作業時は分厚い手袋ですることが難しい作業もあり、結線、圧着時などでは、素手で作業することもあるという。

外出時の装備

 また、極地である南極では、冬場の6月は太陽が地面から昇らない「極夜」になり、空が明るくならないうちに夜になる期間がある。その頃に、“心が安定しなくなってしまう”隊員もいるといい、極夜の時期を乗り越えるため、世界各国の基地でイベント「ミッドウインターフェスティバル」を盛大に行っている。

 逆に、南極の夏となる12月は、日が沈みきらず次の日を迎える「白夜」の期間となる。「しらせ」が南極に到着するのもこの頃で、白夜を活用し、夜間も休むことなく物資の運搬など作業する。物資の運搬には、ヘリコプターや雪上車のほか、大型トラックも使用し、隊員は皆トラックを運転して物資運搬の役目を担うという。

隊員が持ち込んだ私物のイメージ
昭和基地のようすを再現したプロジェクションマッピングによる展示

食料は「意外と腐らない」

 年1回のタイミングで、1年分の食料を補給する昭和基地内の台所事情はどうか?

 食品は、加工品のほか、野菜や牛乳、生卵といった生鮮品も運び込まれる。生鮮品は、基地内の冷蔵庫で保管されるというが、意外にも“腐りにくい”のだという。

 南極では、気温が低いためか細菌類が少ないため、食品を腐らせる菌類も少なく、長期間食品が持つのだそう。生卵は約6カ月目までは生のまま提供され、その後は加熱された状態で提供される。牛乳は、賞味期限が1年過ぎたものでもそのまま飲めるのだという。

 一方、ジャガイモは日本から南極までの移送中に発芽してしまうため、南極到着後に大量のジャガイモの芽を取り除く「ジャガイモオペレーション」が隊員総出で行われる。

ジャガイモの芽を取り除く「ジャガイモオペレーション」
テレビもなく曜日感覚が狂いやすいため、毎週金曜日は「カレーの日」
正月にはお餅が提供されるなど、季節に合わせた食事も提供される

越冬隊員は“ツワモノ”揃い!?

 三井氏は、昭和基地で共同生活する越冬隊員について「南極に来るような方なので一癖も二癖もあるような方が多く、日本社会の縮図みたいな形だった」と振り返る。一方で、その中で“生きて帰る”や“観測を成功させる”といった目標に対して人をまとめること、そして、主任などまとめ上げる人の立ち振る舞いなど勉強になる部分も多いと指摘。スタッフのマネージメントや業務へのアプローチなど、帰国後の生活にも活かしている点も多いという。

三井氏

 また、テレビが視聴できない基地内では、隊員の噂話で盛り上がったり、30人の隊員内でも派閥ができることがある。同じ人と接する時間が長く、人間関係に悩まされる隊員もいい、「観測隊の医師は(健康な人しか隊員になれないためか)普段あまり仕事はないが、意外と精神的な相談がよく来ると聞く」と中村氏は振り返る。

 夏の極夜期間も含め、世界各国の基地でも“気持ちが沈み込んでしまう”ことは課題になっており、基地持ち回りでお題に合わせた映画を制作するイベントを実施したり、どこかの基地がオーナーとなりトライアスロンイベントを実施したり、同じ南極観測の任務を遂行すべく取り組みが行われている。

コロナ期間ならではの苦労も

 三井氏と中村氏は、ともに新型コロナウイルスの影響で、さまざまな制約を受けた。

 先述の南極までの行程のほか、「しらせ」乗船前の2週間ホテルでの隔離生活を行い、日本出発後2週間と、水先案内人(港湾内の航行を指示する港湾スタッフ)が乗り込むフリーマントル出発後2週間はマスク着用が義務づけられた。

 帰路は、フリーマントル寄港時に下船し、空路で帰国するが、オーストラリアの入国条件を満たすために、新型コロナウイルスのワクチンを接種することになる。厚生労働省の基準では、日本国外にあたる南極での接種では「日本で接種した」ことにはならないとして、接種証明に記録されない。記録に残すためには「しらせ」船内で接種する必要があり、「副反応」と「船酔い」に悩まされたという。

 昭和基地内では、幸いコロナウイルスの蔓延はなかったが、他国の基地では感染が広がったところもあった。一方、昭和基地ではノロウイルスが確認されたことがあり、その際は隊員それぞれが基地内の消毒を実施し、拡大を防いだ。

「しらせ」に乗りたくなかった帰国の時

 「また、観測隊員になりたい?」の問いに、三井氏と中村氏は「なりたい」と回答。中村氏に至っては「帰りの船に乗りたくなかった」というほど、観測隊員としての生活は、「おもしろいこと」が盛り沢山なようだ。

中村氏

 もともと無線工学が好きだという中村氏。南極では、自分だけしか頼れるものもなく、通信に問題があれば、本土のスタッフに助言をもらうこともできないが、中村氏は自分1人でなんでもできることが楽しいと語る。

 先述の隊員公募後の健康チェックは、「社内公募よりも難関」と両氏が口をそろえるほど高い壁のようで、チェックを突破するため三井氏のように“親知らず”を4本抜く隊員もいる。

 南極観測隊員になるためには、学術的な知識はもちろん、医療が十分でない南極でも過ごせ、約1年間の共同生活に耐えられる“心身ともに健康”であることが、最大の要件となっているようだ。

元観測隊員が説明するイベント

 実際に観測隊員による説明を生で聞ける特別イベントが8月24日に開催される。

 24日は、極地研に出向し、観測隊員として任務に当たったKDDI社員が在館し、展示を詳しく解説し、個別の質問にも回答する。

 開催は、8月24日10時30分~17時(最終受付16時)。当日は、ミュージアムの無料見学日になっており、終日無料で入場できる。当日受付で申し込むことで参加できる。