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夏フェスの現場で活躍する衛星回線「Starlink」、時々刻々と変わる現場での運用を「ROCK IN JAPAN」で取材
2023年8月8日 12:35
大規模でよく経験する「携帯がつながらない」問題。今に限った話ではなく、いわゆる“ガラケー”を多くのユーザーが持ち出した頃から言われているもので、「知人とはぐれたら一生会えない」(電話やメールがつながらず、イベントが終わるまで会えなくなるの意)など、十数年前から叫ばれていた。
読者の方の中にも、「○○時に青玉(待ち合わせスポット)に集合ね」と時間を決めておいたり、無線機を利用したり(無線機の利用には免許が必要)、ユーザー側で対策をした経験がある方も多いだろう。
通信キャリアも、大規模イベント時には、移動基地局の設置や、人混みの中でWi-Fiのアクセスポイントを背負ったスタッフが歩く“人間Wi-Fi”などで対策をしている。
今回は、イベント主催側の対策の一つとして、大規模音楽フェスのひとつである「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」で、衛星通信「Starlink」を活用した対策事例をご紹介する。実際の運用状況のほか、運営目線からみた昨今の通信環境とStarlink活用に至った経緯などを紹介していく。
衛星通信Starlinkについて
はじめに、「Starlink」を簡単に説明する。
「Starlink」は、米スペースXが提供する衛星通信サービス。これまでの衛星通信とは違い、地上との距離が近い(高度が低い)低軌道衛星で通信するため、低遅延で大容量な通信が期待できるサービスだ。
たとえば、光回線が届かない山間部や、携帯電話のエリア外にある工事現場、固定回線が引かれていない島や船舶など、これまで通信が難しかった場所でも、「Starlink」は衛星通信なので、空が開けていればアンテナを設置してブロードバンド通信環境を構築できる。
「ROCK IN JAPAN」での活用事例
「ROCK IN JAPAN」でも、「携帯電話がつながりにくい」というユーザーの声が多いという。そこで、「ROCK IN JAPAN」では、ユーザーが滞留するショップやクローク、ケータリングが出店するエリアとユーザーが休憩するエリアを中心に、「Starlink」をバックボーン回線としたフリーWi-Fiサービスを提供している。
フリーWi-FiのSSIDにWi-Fi接続すると、簡単な認証画面に進み、規約に同意することで利用できる。一定期間が経過すると、再度認証が必要になるが、回数制限がないので、実質一日中フリーWi-Fiが利用できる。
アクセスポイントは、テント周辺やエリア中央などに設置。大きな機材を置いたり、配線を長距離つないだりしなくても、アンテナとポータブル電源、ルーターなど少ない機材でもWi-Fi環境を構築できるStarlinkでは、人が密集するエリアのど真ん中に設置することができる。
衛星通信と聞くと、通信速度が気になってしまうが、人が密集する「物販・クローク」のエリアで特に混雑する11時台に測定してみると、フリーWi-Fiでは安定した通信ができた一方、キャリア回線の多くは不安定で、中には数回試してもつながりにくい回線もあった。
もちろん、キャリア側も手をこまねいているわけではなく、携帯各社は移動基地局を派遣し、通信環境の改善が図られている。取材をした6日は、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイルの4社が移動基地局を派遣していた。Starlinkのサービスを提供しているKDDIも、Starlinkとは別に移動基地局を3台派遣し、通信環境改善に取り組んでいた。
昨今のイベント事情
先述のように、大規模なイベントでの「携帯電話がつながりにくい」問題は、10数年前から言われており、読者の中には“それが当たり前”と感じているユーザーもいらっしゃるだろう。ただ、近年のイベント事情を見ると、そうも言っていられない現状が見えてくる。
コロナ関連のイベント制限が緩和され、大規模なイベントが日本各地で開催されている。コロナ前水準のイベントが開催されるなか、携帯電話環境はコロナ前と比べて大きく変化している。
たとえば、5G商用サービスはコロナウイルスによる行動制限が叫ばれ始めた2020年3月にスタートされたほか、キャッシュレス決済も現在ほど普及していなかった。
また、イベント側でも近年は電子チケットの普及や、いわゆる“転売対策”でチケットの購入時や発券時などに来場者の顔写真を登録し、入場ゲートで認証を行うものも登場し、これまでイベント運営で利用されなかった通信の利用が増えてきているという。
簡単にまとめると、「携帯電話がつながらない」と「入場に必要なQRコードが出せない」、「顔認証が利用しにくい」、「物販でキャッシュレス決済が利用できない」などの問題が発生。これにより、入場ゲートや物販エリアなどで混雑が発生し、さらにその混雑により通信する端末が増加し、ますます通信環境が悪化してしまうことにつながってしまう。
「ROCK IN JAPAN」でも通信環境問題を重要課題に
「ROCK IN JAPAN」でも、この通信環境問題を重く見たようで、イベント主催としても通信環境の改善に乗り出すことになった。
昨年の「ROCK IN JAPAN」で課題が浮き彫りに
イベントの運営担当者によると、今回と同じ会場(千葉市蘇我スポーツ公園)で2017年から開催している別の音楽イベント「JAPAN JAM」では、今回の「ROCK IN JAPAN」よりも来場者数が少なかったこともあり、通信環境について深刻な問題ではなかったという。
ところが、昨年(2022年)から会場を移して開催された「ROCK IN JAPAN」では、「本当に通信環境があまりに悪すぎる」状況が発生。運営側が利用するトランシーバーも、携帯回線を利用する(IP無線)ものもあるが、つながりづらい状況となり、運営上の最大の課題になってしまった。
来場者からのアンケートでも、通信環境の問題を挙げる声が全体の半数となり、主催としても無視できない問題となった。
昨年開催時も、携帯各社から移動基地局が派遣されたというが、それでも厳しい環境になったことから、運営側でも対応策を模索。そのなかで「Starlink」のサービスを見つけ、今回の設置に至ったという。
イベントでの「Starlink」活用では、5月に開催された「JAPAN JAM」で導入し、携帯回線の通信量減少に効果が見られた。
会場の変更で通信環境が激変
「ROCK IN JAPAN」では、2019年まで(20年と21年は中止)国営ひたち海浜公園で開催されたが、昨年ほど問題には感じなかったという。
運営担当者は、2019年までの会場では、今回の会場よりも広く参加者が分散する傾向にあったことや、普段から来場者が多く携帯各社の通信環境が一定程度整備されていただろうと分析。
一方で今回の会場では、普段はスポーツ公園であり人口が密集しないため、平常時とイベント時で人口密度が大きく変わってしまうために、前回会場よりも厳しい通信環境になったのではないかとした。
大きな工事不要で設置できる
Wi-Fiを設置する際には、一般的にバックボーン回線を固定回線や携帯回線という手段をとられるが、先述の通り携帯回線の混雑対策として導入するのであれば、固定回線をバックボーンに選ぶこととなる。
固定回線をバックボーンとすると、光回線が届いている場所から、屋外のさまざまな場所にケーブルを引き回す必要がある。広大な開催エリアでケーブルを敷設する場合、設置コストが膨大になり、なかなか設置したい場所すべてに設置することが叶わないという。
「Starlink」がバックボーンであれば、このケーブル敷設が不要で、固定回線よりも簡易な施工でWi-Fiエリア化できる。これにより、工事期間の短縮にも効果が見られたとし、運営担当者も「イベントとの相性は抜群」とコメントしている。
臨機応変にエリア化できるメリットも
また、臨機応変にエリアを調整できるのも「Starlink」のメリットのひとつ。
取材日の前日(5日、イベント開催初日)に、入場ゲート付近で通信が集中し、参加者がQRコードを開けなかったり、運営側の端末が通信できなかったりした。そこで、次の日入場ゲート周辺にStarlinkのアクセスポイントを設置して対策したところ、前日よりもスムーズに入場が進んだという。
複数日に渡ってイベントが開催される場合、当日のフィードバックを翌日に反映させられるフットワークの軽さも「Starlink」のメリットのひとつだろう。
なお、取材日も一部物販エリアでも一時的に通信環境に問題があり、キャッシュレス決済ができないシーンがあった。各店の決済端末の通信環境に問題があったようだが、この問題も今後改善されるようだ。
体感で感じる導入効果
実際に導入して、運営担当者はどう感じたのか。開催2日目というタイミングでの質問であったが、担当者から見ても大きな手応えを感じているという。
先述のように、物販待機列が大幅に改善し列が短くなったほか、「携帯電話が全くつながらない」頻度が少なくなり、連絡が取れるようになったとしている。
また、来場者の多くがフリーWi-Fiに接続することで、携帯回線がその分つながりやすくなり、結果的にWi-Fiエリアではない場所での電波環境改善につながる。
イベント主催から見ても、ユーザーがスマートフォンで撮影した写真などが、その日のその時間のうちにSNSなどでシェアしてもらえるようになり、イベントの盛り上がりがより加速するのではないかと期待しているという。
特に若年層の参加者にとっては、「スマートフォンが使えるのが当たり前」という参加者も多く、通信環境の悪化は来場者の満足度に大きく響くと認識。イベントの満足度の向上や、イベント自体の盛り上がりにも、通信環境の改善は、切っても切り離せないと感じているようだ。
1日5万3000人を満足させるイベントに、Starlinkの貢献が見える
今年の「ROCK IN JAPAN」では、1日に5万3000人、会期全体(5日間)で26万5000人の来場者を見込んでいるという。
筆者も、1日だけではあるが「ROCK IN JAPAN」に参加し、当日の電波状況を体験した。
一部キャリアでは、多くの時間でつながりづらいと感じることがあったものの、フリーWi-Fiエリアであればデータ通信が利用できるので、当日のタイムテーブルやSNSをチェックすることができた。
また、Wi-Fiエリア外であっても、各社の移動基地局の効果もあり携帯回線が利用できた。KDDIでは移動基地局でも5Gの電波を発射していたので、来場者の多くが集まっただろう某アーティストの出演前というタイミングでも、5G通信をストレスなく利用できた。
今回の「Starlink」を活用したフリーWi-Fiは、イベント主催側の費用負担により、KDDIとKDDIグループで公衆Wi-Fiサービスを手がけるワイヤ・アンド・ワイヤレス(Wi2)がソリューションを提供する形。
今回話を聞いた運営担当者は、音楽フェスの主催者の多くは「通信環境は『悪くて当然』とある程度諦めている点もあるのでは」と指摘する一方で、今回の取り組みは「会社としても得られるものがあまりにも大きい」とし、費用負担をする形での通信対策を決断したという。
「大規模イベントで、携帯電話がつながりにくいのは当たり前」という認識は、近い将来なくなってしまうかもしれないと感じ、ますます「通信はインフラ」という立ち位置が強まっていく状況を肌で感じることができた。
「Starlink」と他業種とのコラボレーション。「Starlink」の知名度向上とともに、ほかにも意外な活用例が生まれるかもしれない。