藤岡雅宣の「モバイル技術百景」

モバイル通信とネットワークにAI(人工知能)は何をもたらすのか

 モバイル通信業界最大の見本市である「MWC」は、今年2024年も2月末にスペイン・バルセロナで開催されましたが、最もホットなテーマはモバイル通信にAIをどのように取り込んでいくかということでした。

 ネットワーク運用の自動化・効率化、無線周波数利用の効率化やネットワークの最適化、サービス品質の向上など、いま AI利用の可能性が急速に広がってきています 。そこで、モバイル通信とネットワークにAIは何をもたらすのか、見ていきましょう。

モバイルネットワークにおけるAIの利用

 私たちが使っているスマホは、さまざまな機能やアプリが盛り込まれて、ますます複雑化してきています。

 同時に、モバイルネットワークも4Gから5Gへの進化、多数の無線周波数のサポート、多様な機器の接続、利用形態の多様化などで複雑化する一方です。限られた人手だけでこの複雑化するネットワークをうまく使いこなすのは難しく、AIの利用が広がってきています。

 AI利用の基本は、図1のようにネットワーク内の無線基地局やコアネットワーク装置から大量のデータを収集し、これを処理・分析して必要なアクションを導き出すことです。ここで「データ」というのは、主に各装置の利用状況やソフトウェア機能が処理している通信データの数量や、通信を制御するために装置、機能間でやりとりされる制御信号のことです。

図1

具体的には、以下のような分野でAIの利用が進んできています。

モバイルネットワークにおけるAIの適用が期待される分野
ネットワークの最適化
  • 通信データの流れを分析し、処理リソースの割当てをリアルタイムで最適化。これにより、通信速度や安定性が向上し、混雑時でもデータをより効率よく処理できるようになる。
運用の自動化・効率化
  • ネットワークの異常を早期に見つけだし、故障が発生する前に対策を講じることができる。これにより、省力化すると同時に通信のダウンタイムが減少する。
セキュリティ対策の向上
  • ネットワークへの不正アクセスやサイバー攻撃のパターンを学習し、不測の脅威に迅速に対応することで、モバイルネットワークのセキュリティが強化される。
エネルギー効率の向上
  • 通信トラフィックに合わせてネットワーク機器のエネルギー使用を最適化し、環境への負荷低減を実現する。

    ゼロタッチオペレーション

     先に挙げた「モバイルネットワークにおけるAIの適用が期待される分野」の中で、ネットワーク運用の自動化・効率化については、人の介入をできるだけ回避するゼロタッチオペレーション(Zero Touch Operation)の導入が進んでいます。

     全国に張りめぐらされたネットワークを24時間、365日休みなく動作させ、私たちユーザーが満足する品質でサービスを提供するためには大変な手間が必要となります。ゼロタッチオペレーションにおける自動化では、以下のような作業をAIでサポートしつつあります。

    自己最適化
    • 継続的に通信データのトラフィックパターンや利用状況を分析し、処理リソースの配分やトラフィック経路の調整を自動化
    自己修復
    • ネットワークの問題を検出し、それを解決するための措置を自動で実行することにより、障害発生時の回復時間を大幅に短縮
    予防保守
    • 常にネットワークに関わるデータを監視・分析し、普段とは異なる動きなどから潜在的な問題を事前に感知することで、予期しない障害を未然に防止

       ゼロタッチオペレーションにより、運用コストの大幅な低減が期待されます。また、自動化は、迅速かつ効率的なネットワーク管理を実現させます。

       さらに、障害への迅速な対応やリソース割当ての最適化により、ユーザーに対して一貫した高品質のサービスを提供できます。さらに、新しいサービスや機器の追加にも柔軟に対応可能です。

       AIを適用したゼロタッチオペレーションは、特に大規模なネットワークや複雑な環境において、その効率と効果を発揮します。5Gの進化と共にAIの需要はさらに高まります。また、車の自動運転と同様、ネットワーク運用の自動化も徐々にレベルを上げていくと考えられます。

      無線アクセスネットワークにおけるAI

       携帯電話の通信ネットワーク、いわゆるモバイルネットワークに特有な要素として、たくさんの基地局からなる無線アクセスネットワーク(RAN、Radio Access Network)においても、AIの利用が進みつつあります。これまでも、例えば次のような事例があります。

      基地局アンテナ角と出力の最適化
      • 鉄塔やビル屋上に設置されたアンテナは、電波が地上の適切な範囲に届き、また隣接基地局と干渉しないように角度や電波出力を調整する必要があります。ここでAIを利用して、RAN全体としての性能を最大とする非常に複雑な調整を行う。

       RAN機能を誰でも開発できるように仕様をオープンにしていこうとするOpen RANの動きの中でも、AIの利用が視野に入っています。基地局に外部からアクセスするための切り口(インターフェイス)を設け、外部のAIを含むシステムが基地局を監視したり制御したりできるようにするものです。

      O-RAN AllianceとAI

       RANのオープン化やソフトウェア化を推進しているO-RAN Allianceにおいて、基地局の監視や制御を基地局外部から行うための仕組みが標準化されています。

       図3に、この仕組みを単純化して示します。

      図3

       この中で、「xApp」や「rAPP」と記しているものは、「各種設定の最適化」「機能の高度化」「新機能の導入」「障害の復旧」など、基地局を外部から監視したり制御したりするため、必要に応じてAIを使用するRANアプリケーションです。

       「xApp」は、1秒以内の周期で基地局に作用する準リアルタイムの、「rApp」は1秒以上で日単位や月単位も含めた長い周期で基地局に作用する非リアルタイムのアプリを意味します。

       xAppやrAppは、RIC(RAN Intelligent Controller)と呼ばれるソフトウェア実行環境を通して基地局に作用します。RICはxAppやrAppに対して標準的な切り口を提供し、誰でもこれらのアプリを開発し実行できる環境を整えています。

       このように基地局の外部のアプリに、あるいは基地局の内部にAIを取り込んだRANをAI-RANと呼ぶことがあり、今後の5Gの進化や次世代の6Gにおいて非常に重要な役割を果たすと期待されています。

       ソフトバンクとNVIDIA、大手通信ベンダーなどはAI-RANアライアンスを設立して、AI-RANの普及と発展を促進する活動を始めています。

      AIを駆使したRANアプリの開発

       xAppやrAppといったRANアプリの開発には、通信ベンダー、通信事業者だけではなく、AIに精通したアプリ開発業者やベンチャーも取り組むと想定されます。実際、日本でも、そのような開発に取り組むベンチャーが出てきています。

       ここでは、そのような日本発のベンチャーであるFYRAにおけるRANアプリ開発の取組みの現状を見てみましょう。

       同社ではAIに精通した専門家がRANアプリを開発していますが、現段階ではネットワーク運用者からのRAN運用状況に関する質問に答える形のアプリを開発しています。

       運用者からは、例えば「あるエリアのRANを通る通信トラフィックの状況」「混雑時の問題の検出」「障害の状況」「消費電力の傾向」などの質問とサマリーデータの出力を要求します。

       図4にRANアプリの構成イメージを示します。アプリを構成する個々のソフトウェアモジュールでは、専門知識を持つLLM(Large Language Model)が処理を担っています。個々のLLMは小型のChatGPTのようなモジュールで、各専門分野のデータ分析を行うデータサイエンティストに相当し、階層的に組織化されたデータサイエンティストたちが協力して作業を進めるイメージです。

      図4

       運用者からの質問はこのアプリにプロンプトの形で入力します。これを受け、プロンプト分析(対話サービス)LLMが自動的に問い合わすべき問題分析LLMを選択し、適切な問い合わせプロンプトも生成します。

       さらに、問題分析LLMが自動的に問い合わすべき、ひとつ、あるいは複数の個別データ分析LLMを選択し、適切な問い合わせプロンプトも生成します。

       そして、個別データ分析LLMがデータ分析を実施しその結果を問い合わせ元の問題分析LLMに返します。

       個々のLLMには、専門分野ごとの大量データを入力して事前に学習させることに加えて、実際の利用を通してさらに学習を積み重ねることにより回答の精度が向上します。

       これは対話型アプリの一例ですが、RANアプリの構成は開発者によってそれぞれ異なると想定されます。また、個々のアプリは特定の通信事業者のネットワークや特定のベンダーの基地局に専用化されるのではなく、世界の事業者やベンダーに広く利用されることにより大きなエコシステムが形成されることが期待されます。

      今後のモバイル通信におけるAI利用の広がり

       モバイル通信の標準化を進めている3GPP(3rd Generation Partnership Project)では、既にネットワークからデータを収集して分析するための仕組みを標準化しています。また、5Gの進化版である5G-Advancedの中でAI-RAN関連の枠組みを規定しています。

       今後、ネットワーク監視や運用だけではなく、モバイル通信全般にわたってAIの利用が広がっていくと考えられます。

       例えば5Gの進化に伴い、個々の通信サービス利用形態に応じて異なる特性のネットワーク接続を提供するネットワークスライシングが広く使われると想定されますが、膨大な数となるスライスに最適なネットワークリソースをうまく動的に割り当てるためにAIの利用が期待されます。

       顧客サービスの向上の面でも、AIチャットボットを使用することで、顧客の問い合わせに対して迅速かつ24時間対応する顧客サポートが実現します。これにより、顧客満足度を大幅に向上できる可能性があります。

       スマホにAIを組みこみ、音声で検索したり、多言語対応で翻訳したりするといったサービスは実現されましたが、今後、さまざまな通信デバイスへのAIの導入も進むと考えられます。

       さらに、次世代モバイル通信である6Gでは実際の物理空間をクラウド上のサイバー空間で模擬するサイバーフィジカルシステムが大きな役割を持つと考えられており、サイバー空間ではAIが大きな力を発揮すると期待されます。

      藤岡 雅宣

      1998年エリクソン・ジャパン入社、IMT2000プロダクト・マネージメント部長や事業開発本部長として新規事業の開拓、新技術分野に関わる研究開発を総括。2005年から2023年までCTO。前職はKDD(現KDDI)で、ネットワーク技術の研究、新規サービス用システムの開発を担当。主な著書:『ワイヤレス・ブロードバンド教科書』、『5G教科書 ―LTE/IoTから5Gまで―』、『続・5G教科書 ―NSA/SAから6Gまで―』(いずれも共著、インプレス)。『いちばんやさしい5Gの教本』(インプレス)、大阪大学工学博士