インタビュー

通信インフラの世界にやってきたオープン化ってどういうもの? KDDIが参加する「TIP」の仕組みと今後の展開を聞く

 2月26日、KDDIは「Telecom Infra Project(TIP)のさらなる発展に向け協力する」と発表した。

 「あのTIPか!」と膝を打った方は、弊誌読者の中でも相当業界通だ。おそらく多くの方にとってはどういう意義を持つのか、ちょっと想像しづらい発表のはず。そこで、今回本誌では、KDDIの中の人に「これっていったい、どういう意味なんですか?」と話を伺うことに。

取材に応じてくださった林氏(左)、小西氏(中央)、渡辺氏(右)の3人と、リモートワークでの取材対応となった熊木氏

 応対してくださったうちのひとり、KDDI技術統括本部 モバイル技術本部副本部長の小西聡氏は、そんな問いかけに「いわば通信インフラにおけるオープンソース的な取り組みなんですよ」と語る。

 ということは、誰かが作ったモノを自由に使える、ということなんだろうか。どうやら通信業界で、新しい取り組みが進んでいる様子だ。

 この記事では、小西氏のほか、標準化推進室 標準開発グループリーダーの渡辺伸吾氏、IPネットワーク部副部長の熊木健二氏、KDDI総合研究所 アーキテクチャグループリーダーの林通秋氏に、TIPのこと、TIPを通じた携帯電話業界の今後、KDDIの目指す先を聞いてみたので、ご紹介しよう。

通信設備の機器をオープン仕様を作っていく

 TIPは、米フェイスブック(Facebook)などが旗振り役となって、2016年2月から活動し始めた業界団体だ。

TIP内でのグループと取り組み

 そうした業界団体には、3GPPやIEEEといった存在がある。たとえば3GPPは、携帯電話の通信規格に関する技術仕様(標準規格)を作り上げる、標準化を進める団体だ。それに対し、TIPは「あくまでモノを作り上げる団体」と小西氏。

 3GPPで定められる標準規格に基づけば、どんな企業でも通信関連の製品を開発できるはず。ところが、実際はそう上手くいかない。いわゆる標準規格は、細部まで詰められておらず、ある程度、企業側でカスタマイズしていく余地がある。

 かつての通信業界であれば、ベンダー1社の製品やサービスをまるっと通信会社が導入することがほとんどだった。あるいは、通信会社側で細かく仕様を定めて、それに数少ないベンダーが製品を作り上げる。どちらにせよ限られた企業が仕様をコントロールする格好だった。

 ところが、汎用的なハードウェアの処理能力が加速度的に進化してくると、ソフトウェアで処理できる範疇が拡大するようになり、通信業界はいわゆる仮想化を求めるようになった。さらに、O-RANのように、「装置内を細かく分けて、機能ブロック間のオープンなインターフェイスを定める」といったことを目指す標準化団体が生まれた。その次のステップとして、標準規格にマッチする製品や機能ブロックを複数の企業が手がけられるようになってきた(マルチベンダー化)。

 その上で、マルチベンダーの枠をさらに拡大し、より多くの企業が参加できるオープンな環境になれば、競争原理が働いてさらなるコストダウンが期待できる。

 とはいえ、そうなると企業ごとに異なる細部のカスタマイズが存在すると、導入や運用をする上で手間が増えてしまいかねない。

 そこで標準規格に基づいて製品を作りたい企業(ベンダー)や、そうした製品を使いたい通信事業者(オペレーター)が参加し、標準に則ったオープン仕様の製品を検証していくのがTIPという場になるのだという。

今までの設備は“クローズド”

 小西氏によれば、これまでの携帯電話向けの通信設備は、いわばクローズドだという。

 その理由のひとつとして、オペレーター同士が手を結んで開発したり、設備を展開したりしてこなかったことがある。最近でこそ、多数の基地局数が必要な5Gの展開にむけて、KDDIとソフトバンクが協力する方針となったが、それでも装置を一緒に作ることは少ない。装置を作る側も、大手のベンダーも、大手に寡占された状況で、どうしても各オペレーターごと、ベンダーごとに閉ざされた仕様が生まれがちだ。

 一方で、通信規格の仕様は、標準化されている。つまり誰もがその標準に則れば、製品を開発できるはずだ。

 しかし、と小西氏は言う。

 「誰もが参入できます。実際に参入してきた企業さんもある。しかしグローバルな市場なので、既存の大手ベンダー企業のほうが、スケールメリットが効きやすい。新規のベンダー企業にとっては、大手になかなか追いつきづらいのです」

 そこでTIPでは、外部の標準化団体で定められた標準仕様と、それだけでは足りない実装仕様を詰めた上で、新たなベンダーの参入を促そうとしている。

フェイスブックがリードする背景

 リードすることになったフェイスブックは、基地局や携帯電話といったレイヤーの上で利用される存在と言える。コンテンツ側から、その流通を支える通信業界の団体を設立するのは、やや不思議に思われるかもしれない。

 だが、グローバルでの状況を見ると、フェイスブックがこれまで以上に成長するためには、新たな市場が必要だ。いわゆる先進国はすでに成熟していることを踏まえると、発展途上国など、まだネットやスマホの普及の余地がある市場への進出が選択肢のひとつとなる。

 つまり、オペレーター社が、発展途上国でより低コストな通信インフラを整備できるようになると、ゆくゆくはコンテンツ事業者にとってのビジネス機会を創出することになる。

 フェイスブックのみならず、たとえばグーグルも発展途上国を意識した通信インフラの整備に意欲的。ネット企業が通信設備に関心を持つのは、数年前から必然と言える状況となっていた。

 とはいえ、TIPの活動は、そうしたフェイスブックの意向が強く見えるわけではなく、あくまでもオペレーターがリードする場となっているようだ。

 ちなみに日本からはKDDIのほか、楽天モバイルがメンバーとなっている。またNTTドコモの名前はないが、NTTのグループ企業や、ドコモ・イノベーションズは参画している。ソフトバンクの名はないが、「TIPの国際的なイベントにソフトバンクの方もいらしているようだ。興味はお持ちだと思う」(林氏)とのことで、日本の携帯各社がそれぞれの立場で関与している格好だ。

 海外勢の参加状況を見ると、欧州のオペレーターは数多く参加する一方、米国からの主立ったオペレーターはスプリントだけで、AT&Tやベライゾンは加入していない。またクアルコムテクノロジーズは参加しているが、ファーウェイの名前は見当たらない。こうした点から、グローバルでの通信関連各社の戦略も垣間見ることができそうだ。

通信設備のオープン化ってどういうこと?

 あらためて通信設備のオープン化とはいったいどういうことなのか。

 「通信事業者(オペレーター)から『こんな装置が欲しい』と要件を提示します。装置を作りたいベンダーさんが手を挙げて、詳細な仕様を一緒に検討して、最終的に装置を作ってくれる。そして開発した装置をラボで検証したら、その結果をみんなで共有するんですよ」(小西氏)とのことで、検証結果や仕様、課題を共有していく。まるでオープンソースのような姿勢で進められているのだという。

 どんな装置の要件を提示し、それを誰が作るのか。実は「やりたいことをやる」と小西氏。その代わり、手がけたことに関する情報はメンバー間で共有される。試験の結果も共有されるため、同じ装置を試したいと思っていた企業にとっては、他社のテストを無料でそのまま参考にできる。

 小西氏によれば「テレフォニカやボーダフォンなどのTIPを牽引する欧州の通信事業者のには、3GPPなどの標準化団体を通じて、知り合いがいますので、これまでも話したことはあります。でもそうしたテストシナリオや、テストの結果をお互いに教えあうなんてことは、これまでなかった」という。オープンな姿勢で通信設備の開発を目指すTIPだからこその情報共有が実現しているというのだ。

 一方で、他社のテスト結果が必ずしも自社に役立つわけではない。

 「日本のお客様は品質への目が厳しい。日本のオペレーターはそれに応えようとするので、日本にとっては必要な基準でテストする。だが、そこまでの基準を求めない地域の企業にとっては、必要な情報ではないかもしれない。その逆もまたあり得る」(小西氏)

 検証する際には、大規模ベンダーの製品だけではなく、小規模ベンダーの製品が対象になることもある。その場合は、単価が安くとも、そもそも同じ品質で量産できるのか、長期的な視点で保守を維持してもらえるのかどうか、といった点も考慮することになる。

 ちょうど5G時代を迎える昨今だが、TIPでは通信規格の世代に関わりなく、製品開発を進めていく方針だ。

日本で初めて設置されるラボ、その役割は

 KDDIでは今回、2020年春に東京都内に「TIP Community Lab(コミュニティラボ)」を設立する。ラボは、先述したような製品の検証を行う場で、これまでドイツや米国、英国、イタリア、ブラジルなどに設置されてきた。

 KDDIではまず、新設するラボで複数の基地局を接続するスイッチを対象に検証を進める考え。

 安定性や品質をチェックし、導入費用や保守費用を踏まえ、商用環境に見合ったスペックを持ち得る製品なのかどうかを検証していく。

 TIP内に設けられたトランスポート分野のもとに「オープン オプティカル&パケットトランスポート」というプロジェクトグループがある。そこを通じて、基地局で使うスイッチの検証が進められる。

 TIP内で検討している内容や製品は「まだ玉石混淆の状態」(小西氏)とのことで、製品として完成度が高いものもあれば、生まれて間もないできたてほやほやのものもある。そうした中から検証を進めて、完成度を高め、商用化を目指す。

 情報を共有し、さまざまな企業が従来よりも低コストな製品作りを可能にするというオープンな環境だが、その一方で、オペレーターにとっては複数のベンダー(マルチベンダー)の製品を採用する分、管理・運用する手間暇が増えてしまう。通信障害のリスクを減らすために、ネットワーク運用の自動化を別途導入しつつ、オープン化を活かした低コストな製品を商用環境へ導入したいのだという。

 小西氏は「個人的には、従来の3割~5割のコスト減を目指したい」と語る。

バックボーンネットワークのルーターを検証する新しいグループ

 2月28日の発表では、KDDIがTIPの中でリードする新たなグループとして、「Disaggregated Open Routers」が今春設置されることが明らかにされた。携帯電話用の通信ネットワークのうち、バックボーンと呼ばれる背後にある通信ネットワークで活用されるルーターを開発していく。

 グループ名にも用いられているディスアグリゲートとは、いわば分解する、といった意味だ。ルーターの場合、チップセット、ハードウェア、そしてソフトウェアを1社が手がける場合に対して、ディスアグリゲートするということは、つまりチップ、ハード、ソフトそれぞれで、別々の企業の製品が用いられることになる。

 そのルーターに用いられるチップセットは、これまで汎用的に使えるものはデータセンター向けのものだった。一方、2018年にブロードコムが発表した「Jericho2(ジェリコ ツー)」というチップセットは、シスコやジュニパーネットワークスのチップに匹敵する性能を実現する。

 携帯電話はインターネットに繋がり、さまざまなサービスを利用できる。つまりオペレーターは、自社の通信ネットワークとインターネットを数多くの経路で繋げる必要がある。これまでのチップでは数万経路といったスペックだったがJericho2は、外部メモリを使わずとも、IPv4で200万以上の経路を実現し、従来よりも低コストながら、大手ベンダーのチップ性能を凌駕する。

 そんなチップセットが登場する一方、熊木氏はソフトウェアがまだまだと評する。ディスアグリゲートする中で、チップ、ハード、ソフトの全てを分解するのはあと少し時間がかかりそうだが、それでも年内には仕様を策定し、2021年度から本格的な検証をスタートする見通し。早ければ2022年にも、TIPの取り組みを通じてディスアグリゲートなルーターが誕生し、商用化される可能性があるという。

 たとえば、とある設備と設備の間でやり取りする際、標準仕様に則って「今は混んでますよ」と送ったとする。それを受けた側が「待ちます」となるか「かまわないからデータを送っておけ」となるのか、実はちゃんとすり合わせをしておかないと、ベンダーごとに違いが生まれかねない。逆に言えば、1つのベンダーで統一されていれば、機器同士の違いがあらかじめわかっているので調整しやすく、問題は起きにくい。

 TIPの掲げる理念が究極的に達成されることになれば、そうしたベンダーごとに違いが生まれかねない部分、いわば標準仕様では定め切れていない細部まで、TIPの活動によってデファクトスタンダードが策定され、齟齬が生まれにくくなる。どんなベンダーの機器でも、検証にかかる時間や費用といったコストも低減でき、ユーザーへ、より早く、より良いものが提供できるようになるかもしれないのだ。

ソフトウェアの時代がもたらすもの

 通信設備のオープンな開発環境が、コスト効率をアップできるとしても、はたしてそう上手くいくのか。

 そうした中で、インターネットの発展、デジタル化の進展を受けて、数年前から携帯電話業界でも、ネットワーク設備の仮想化が唱えられてきた。まもなく本格サービスを開始する楽天モバイルもコアネットワークの完全仮想化が特徴の1つとされている。ユーザーからは体感しづらいが、オペレーターにとっては大きなトレンドだ。

 そうした仮想化も、2020年の今は「まだまだ発展途上中」と小西氏は評する。性能や品質、コスト、消費電力の面で改善の余地があるという。

 それでも、5年前と比べれば、仮想化そのものは構想段階から、実装フェーズへと移ってきた。さらなる仮想化の普及も確実視される。

 コンピューティングパワーの進化がソフトウェアの時代を招き、オープン化の進展でメーカーごとの違いを減らし、コストを下げる。これから5Gの時代では、スマートフォンだけではなく、さまざまな機器での通信サービスの活用が期待されているが、そうした時代に向けた取り組みのひとつとしても、TIPを通じた取り組みによる果実は大きそう。

 今後の課題は運用面での品質だ。仮に性能が上がり、コストダウンが現実になっても、何らかの不具合があったときにすぐベンダーが対応できるかどうかも鍵のひとつになる。つまり機器調達コストだけではなく、ネットワーク運営のコストという面でもきちんと機能するレベルになれば実用的になる――小西氏は現時点でそうした課題があると指摘する。

 今後、東京にラボが設置されることで、検証の自由度や期間短縮なども期待できそう。2020年代以降の通信インフラの発展に向けて、TIPは重要な存在のひとつになりそうだ。