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KDDIで社長交代、田中孝司氏から髙橋誠氏へ

 KDDIは、新たな人事を発表した。4月1日付けで代表取締役社長の田中孝司氏は社長職を退いて新たに代表取締役会長となり、代表取締役社長には髙橋誠氏(現代表取締役副社長)が就任する。現会長の小野寺正氏はいったん取締役相談役となるが、今年6月の株主総会で取締役を退任、非常勤の相談役になる。

田中氏(左)と髙橋氏(右)

 31日の決算会見後、急遽、田中氏と髙橋氏の緊急会見が開催された。会見開始時、2人が姿を見せると、発表内容を悟った報道陣から驚きの声が上がる。それだけではなく、笑顔いっぱいの田中社長につられたのか笑い声も聞こえ、和やかな雰囲気でのスタートとなった。

2010年就任、すぐにiPhone導入

 2010年12月、小野寺正氏から引き継ぎ、KDDI第3代社長に就いた田中孝司氏。新機種発表会や、決算会見など、さまざまな場で自ら舞台に立ち、積極的にKDDIの顔としての役割を果たしてきた。

 報道陣の前では時に「関西出身ですから」とおどけた口調で笑いを誘ってきた同氏は、社長就任当時、auはスマートフォンへの取り組みが遅れていたと振り返る。Skypeとの連携やグーグルとの協力、小型のノートパソコンのようなデバイスから、Windows Phoneの導入を打ち出しつつ、2011年10月に登場した「iPhone 4S」で、初めてソフトバンクに続きiPhoneシリーズを取り扱うようになった。

 田中氏は「メーカー問わずにいろんなスマホを入れようと舵を切っていたが、アップルはどうしても入れたかった。(田中氏個人としても)1984年にマッキントッシュが登場したころからのユーザー。業績にも多大な貢献をしてくれた。auユーザーがスマートフォンの世界へ踏み出すことに寄与してくれたのではないか」と振り返る。

楽天の携帯事業参入が象徴するもの

 会見の直前に行われた第3四半期の決算説明会の質疑で、楽天が携帯電話事業の参入を目指す方針を示していることについて問われた田中氏は、その事象が何を表しているのか、と言葉を費やして語る。

田中氏
「通信事業だけではなく、最近では金融などもある。KDDIはどう捉えているか。少し大きな目で見ると、通信だけではなく、他の産業でもデジタルトランスフォーメーションの流れがでてきている。その表に見える形のひとつが楽天のMNO(携帯電話事業者)進出ではないか。全産業が新しい時代へシフトしているという象徴。

 通信の世界だけで見ると、楽天の参入で競争が激しくなるように思えるだろう。だが、新たなプレイヤーの参入ではなく、次の時代に向けて走り出しているということ。これからは、ケイパビリティ、つまり持っていない機能を獲得しながら戦う時代。まるでRPGのようだが、どういう能力が次の時代に必要なのか。

 通信は一つめで、基本。二つめが金融。三つめがコマースだと思う。そのために、お客さんをたくさん抱えるということに加えて、お客さんとどれだけ深いエンゲージメントを持っているかということが重要になる。これはまさにビッグデータそのもの。

 ヤフーも次はデータの時代と言っている。そんな風に思うと楽天がMNO参入という心意気はしっかり理解できる。新しい時代のためには通信は必須で、MVNOでは満足できず、MNOが必須なんだろうと思っている。

 では単体で通信事業できるのか、6000億という話はあったが、毎年KDDIも5000数百億使っていて、それほど甘くないと思う。他のMNOが協力しないと、通信における深いエンゲージが可能な、アセットを作ることができないのではないか。

 もっと深いエンゲージメントが必要で、(各社が)最初にたどり着こうとしているなかで、通信がミッシングピースと考えられたのではないか。我々自身も次の時代に向けて、ライフデザイン企業を目指しながら、楽天と戦えるような体制を目指したい」

新社長の髙橋氏、「頭が真っ白になった」

 1961年生まれ、田中現社長の4つ下という髙橋氏は、かつて、フィーチャーフォン向けのEZwebなどのモバイルインターネット分野を牽引。KDDIのスタートアップ支援プログラム「KDDI∞Labo」にも深く関わるなど、KDDIが新たな領域を目指す際にはリーダーシップを執ってきた人物。

 ここ最近は、渋谷ヒカリエにあるKDDIのオフィスを拠点にし、全社新事業担当およびバリュー事業本部長として、通信以外の事業領域をリードしてきたが、約1年前の2017年4月、経営戦略本部長に就任し、東京・飯田橋にあるKDDI本社で、田中社長とともにKDDI本体の経営に携わってきた。

 報道関係者も含め、田中社長の後任として有力視されていた髙橋氏だが、このタイミングでの新社長就任には驚いたという。

髙橋氏
 「実は昨年の11月末、(田中氏から)急に呼ばれて(新社長として)指名委員会にかけると聞かされた。だが、2018年度は、現在進めている中期事業計画の最終年度。そこまでは(田中氏が社長職を)続けるんだろうと思っていた。突然のことに頭が真っ白になった」

 その田中氏は、最終年度だからこそ、新社長にバトンを渡すタイミングだと考えたのだという。現在の中期事業計画の最終年度は、すなわち次期中期計画を立案するタイミングでもある。先述した楽天の携帯電話事業参入が象徴するように、時代の変革がいよいよ形となる中、「3M戦略がうまく行き、次は自分自身がやるべきではないなと。就任から7年になり、あまり長くやるとろくなことがない(笑)」と述べ、今こそ世代交代するタイミングだと考えたと田中氏。

 5G、IoTだけではなく、モバイル決済や仮想通貨などのフィンテック、ビッグデータやAIなどでさらなる変化がやってくると喧伝される時流の中で、頭が真っ白になったものの、実は「ある意味ワクワクする感覚がある」と笑顔を見せる髙橋氏。

 田中氏がトランスフォームと表現したように、通信とライフデザインの融合の時代が訪れる、そこでサービスプロバイダー、プラットフォーマーとしてユーザーへ価値を提供していきたい、と髙橋氏は意気込んだ。

 滋賀県出身の髙橋氏は、横浜国立大学工学部金属工学科を卒業し、1984年、京セラへ入社。当時は、大会社の歯車ではなく、より若い会社を志望する気持ちが強く、ベンチャーに入社した気持ちが強くあったと、その後の新規事業の開拓をリードした自身を表わすかのようなエピソードを披露。折しも翌1985年は、通信自由化が実施される時期であり、王者たるNTTに対して、日本市場へ競争原理を持ち込むことがいかに素晴らしいかという話を聞いて通信事業へ挑むことになったと説明。通信事業は、固定電話→フィーチャーフォン→スマートフォンと、既存の存在をディスラプト(破壊)しながら新たな価値を生み出してきており、その経緯を全て体験してきたことが強く印象に残っているという。新規領域を模索する中で、通信業界以外での繋がりが増えたことは、ライフデザイン企業を志向する現在のKDDIでは糧になると胸を張る一方で、一カ所に留まることは苦手とも髙橋氏。

 プライベートでは、東京マラソンにも出場経験があり、登山、スキーなどもたしなむ同氏が導く、これからのKDDIがどのような変革を遂げるのか、注目が高まりそうだ。

【お詫びと訂正 2018年2月1日17時59分】
 記事初出時、田中孝司氏をKDDI社の第2代社長としておりましたが、正しくは第3代です。お詫びして訂正いたします。