本日の一品

折れそうな心も丸まった背中も支えてくれる、心と姿勢に効く無口な相棒「ふんばるず」

 高度にテクノロジー化された現代社会において、便利さと引き換えに、我々は「余裕」という名の贅肉を削ぎ落としてしまったようだ。効率化の波に呑まれ、パソコンのモニターと睨み合う日々。

 気づけば背中は丸まり、視線は下を向き、心まで内側へ閉じこもってしまう。そんな「しんどい」現代社会を生きる多くの人間たちが、保とうとしているのは、プライドだろうか、それともただの虚勢だろうか。

 2年ほど前、筆者は偶然立ち寄った東京駅前の東京中央郵便局(KITTE)の1階で一匹の奇妙なぬいぐるみに出会った。その名は「ふんばるず」。猫背を矯正するという実利的な目的のために生まれたらしい。

 少し前かがみの動物たち。だが、この「変なぬいぐるみ」が筆者のデスクに居座るようになってから日常は、静かに、しかし決定的に色を変え始めたのである。

 「ふんばるず」の構造は至ってシンプルだ。机と自分のお腹の間に、このぬいぐるみを挟む。ただそれだけ。中には芯材が入っており、筆者たちがついつい前のめりになって崩れてしまう姿勢を、物理的に、そして柔らかな毛並みで食い止めてくれる。

 しかし、なぜこれほどまでに、この小さな存在が多くの大人の心を掴むのだろうか。それは、彼らが「自らも前のめりになって、必死にふんばっている」からにほかならない。

 現代社会において、なぜか「正しくあること」を求められる機会は多い。背筋を伸ばせ、前を向け、弱音を吐くな。だが、それができないから普通の人たちは苦しいのだ。ふんばるずは、そんな人たちに「正論」をぶつけない。

 彼ら自身が、少し不格好なほど前のめりになり、体重をその小さな体で受け止めてくれる。彼らを挟んでいる間、我々は一人ではない。孤独なデスクワークの最中、自分の「しんどさ」を物理的に共有してくれる相棒がそこにいるのだ。

 使い方はいたって簡単だ。仕事中、あるいは読書中、ふと「あ、今自分の一部が削られているな」と感じたとき、彼らをそっとお腹の間に迎え入れる。すると、不思議な感覚に陥る。自分が彼らを支えているのか、それとも彼らに支えられているのか、その境界が曖昧になっていく。

 彼らが生み出された背景には、テレワークの普及やデジタル化による身体的な歪みがある。しかし、その根底にある真の意義は「心のクッション」ではなかっただろうか。2年前、筆者がこれを選んだのは、単なる姿勢矯正のためではなかった。

 思い起こせば当時は誰かに、あるいは何かに「寄りかかりたい」という、言葉にできない感情が形になって表れた時だったようにも思える。

 ふんばるずの毛並みに触れ、少し軽めだがその重みを感じる。それは「諦める」ための重みではない。むしろ、明日もまたこのよそよそしい世界で、なんとか「ふんばる」ための、温かな錨(いかり)なのかもしれない。

 彼らがいつもそこにいてくれるから、我々は再び顔を上げ、モニターの向こう側にある明日へと手を伸ばすことができる。

 韓国ドラマを観ているとやけに出てくる“ファイティン!”(頑張れ)という言葉が、時に刃物のように突き刺さることのある現代だ。けれど、声を出さずに「一緒にふんばろう」という無言のメッセージは、どんな名言よりも深く、我々の乾いた心に染み渡る。

 この小さなぬいぐるみが教えてくれるのは、完璧に振る舞うことの強さや美しさではない。不格好でも、少し前かがみでも、何かに寄り添いながら今日を生き抜くことの尊さなのだろう。

 筆者のデスク前には、今日も彼がいる。明日を諦めないために、少し楽しい世界に変えるために、今日も一緒に、少しだけ背中を丸めてふんばっている。

製品名発売元実売価格
ふんばるず ナマケモノDreams2970円