インタビュー
気になるケータイの中身〜シャープはどうやって放射線センサーを開発したのか
2012年7月17日 13:26
ソフトバンクモバイルの夏モデル「PANTONE 5 107SH」は、8色展開でコンパクトなボディという特徴を備えた、シャープ製Android搭載スマートフォンだ。そして、世界初の“放射線測定機能”搭載のスマートフォンでもある。
この放射線測定機能を実現したのは、「107SH」を製造するシャープ自身が開発した、放射線センサーモジュールだ。今回は、シャープ電子デバイス事業本部の竹山茂明氏と飯塚邦彦氏に同モジュールの開発について話を聞いた。
複数ある放射線測定の方式、校正の必要性とは
2011年3月の東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所の事故は、今もなお、多くの影響を与えている。日本中で、放射性物質の飛散に関心が高まり、たとえば東日本の自治体では、学校や公園などで測定した結果が開示されるなど、各地での放射線測定は今や日常的に行われている。少なくない人々が、放射線の特性、その測定方法について学んだことだろうが、今回、あらためて基本的な部分からご紹介したい。
放射線測定で用いられる機材には、いくつか種類が存在する。“ガイガーカウンター”とも呼ばれる「ガイガーミュラー管(GM管)方式」は、内部にアルゴンなどの不活性ガスを入れておき、そこに放射線が当たり、最終的に電流が流れて線量を計測する。専門家に用いられることが多いが、数百ボルトの高電圧を発生させる回路が必要という。また、ガスが徐々に抜けたり、変質したりすることがあり、このタイプは定期的な校正(正しく検知できるよう修正する作業)が必要となる。
同じく専門家に利用されることが多いという「シンチレーション方式」は、結晶などで作られるシンチレーターと呼ばれる部分に放射線が当たると発光することから、その光を捉えて電流を発生させて検知する、という仕組み。これもシンチレーターが徐々に変化するため定期的な校正が必要となる。
GM管方式、シンチレーション方式は、より正確に測定でき、専門家にも利用されているが、導入費用が数十万~数百万と高額とされ、一般のユーザーが普段から利用するものではないと言えるだろう。
一方、シャープが開発したモジュールでは、「半導体方式」が採用されている。市販されている携帯型放射線測定機の中で、この半導体方式が用いられている機器は、比較的安価なことが特徴だ。ただし精度は、GM管方式、シンチレーション方式よりも劣ると言える。その仕組みは半導体に放射線が当たると、電流が流れることで、放射線を検知するというもの。流れはGM管方式に似ているように思えるが、他の方式に比べ、半導体は比較的安定していて、長期間使用しても劣化が起きにくく、メンテナンスがほぼ不要とされる。そのためシャープでは、「107SH」などの携帯端末が使用される期間中は、校正しなくても影響がない、と説明している。
ちなみに主な放射線にはアルファ線やベータ線、ガンマ線がある。アルファ線は紙一枚で遮蔽でき、ベータ線もアルミの板程度で防げる。ガンマ線は厚い鉛の板などでなければ防げず、今回はガンマ線を測定するモジュールとして開発が進められた。
これまでのノウハウを活かしたセンサー開発に
液晶テレビや太陽光発電、スマートフォンなどを手がけるシャープにとって、今回初めて放射線測定の機器を開発したことになる。竹山氏と飯塚氏が所属する電子デバイス事業本部は、液晶テレビのチューナーや液晶コントローラー、モバイル向けではワンセグチューナーやWi-Fi用パワーアンプなどを手がけている。ただ、市場全体として、テレビの需要は鈍化し、モバイル分野でも低価格化と競争が激化しており、これは製品を構成するデバイス分野にも影響を与える。
そこで、シャープでは、デバイス分野でも、今後、環境デバイスやセンシング分野を強化していく。既に実用化しているイオン濃度を確認するセンサーに加え、空気中の浮遊微生物(ダニやカビ菌など)、気温・風量センサーなどの開発を検討している。今回の放射線センサーモジュールは、原発事故を受けて、シャープのセンシング技術で社会に貢献できる製品が提供できないか、検討した結果生まれたもの。
ここで活きてくるのが、イオン濃度に対するセンシング技術と、テレビ用で培ったチューナー技術だ。
放射線は、物質を通過する際に原子が持つ電子をはじき飛ばす。これは「電離作用」と呼ばれる。放射線が半導体を通過すると、半導体内部の原子は、陽子イオン(+の電荷)と電子(-の電荷)に分かれる。半導体には電極が設けられており、電子は+の電極へ、陽子イオンは-の電極へ移動し、微小な電流が流れる。実は、この原理と同じ“イオン濃度検知機能”は、シャープの「プラズマクラスター」のイオン濃度測定用として開発した技術がベースになっている。
その技術はどういったものか。プラズマクラスターは、プラズマ放電によって水(H2O)と酸素(O2)をH+、O2-とイオン化させ空気中に放出し、OHラジカルが空中の微生物に付着するとH(水素)だけ取り出して作用を抑える。しかしイオンは人間の目に見えず、故障せずに動作しているか、検知する必要がある。そこでシャープでは、空気中に放出されたイオンを電極に集めて濃度を計測するICを開発した。この技術が放射線センサーモジュールに活かされているというわけだ。
もう1つ、チューナー技術は、ノイズの除去に役立っている。半導体に放射線が当たると、電流が発生して検知することになるが、これはとても弱い電流で、検知するためには増幅する必要がある。しかし、増幅するとノイズもあわせて増えることになる。ノイズを検知しないよう、基準を上げると、放射線によるパルスの一部を見逃す可能性も出てくる。しかし、シャープで培ってきたチューナー技術では、空からやってくる弱い電波を受信しつつ、ノイズを低減して、映像をきちんと再現している。この技術を応用し、放射線による反応をきちんと増幅させつつ、ノイズを小さくすることを実現した。
このノイズは、振動や衝撃などでも発生する。今回の放射線センサーモジュールには、2つの半導体が用意されており、たとえば日光を通す窓のような役割を果たす。ユーザーが日常生活において測定する場合、放射線が2つの半導体を同時に通ることは稀だ、と飯塚氏は説明する。統計的に見ると、放射線の出現の確率は一定の法則の下にあり、放射線が2つの半導体を同時に通過する確率は計算できるのだという。放射線を検知するとき、2つの半導体のうち1つにしか通らない、ということであれば、2つの半導体で検知する他のパルスを比較して、一方しか通らないものは放射線によるパルスであると判定でき、他のパルスはノイズと判定できることになる。さらに振動によるパルスと放射線のパルスは、周波数が違うとのことで、その判定もノイズ除去に役立つのだという。
日常生活で安心できるように
ここまで、放射線測定の方式と、シャープのノウハウが活かされたポイントを紹介してきた。しかし、放射線センサーの性能には、まだ気になる点がある。竹山氏と飯塚氏へのインタビューをあわせて掲載する。
――今回のモジュールは最初からスマートフォンへの搭載を見据えて開発をしてきたのでしょうか。
竹山氏
そうです。今回、“窓”にあたる半導体は2つ搭載していますが、このサイズが小さいと放射線は多く当たりませんから、測定までの時間がかかり、精度も上がりにくい。しかし半導体を多く搭載すると大型化してしまいます。当社のモジュールは、0.05~20μSV/hまで測定できますが、専門家は「0.001μSV/h~」といった性能を求めるでしょう。今回は、あくまで日常生活で利用できるレベルを目指して開発を進めました。
――細かな点ですが、測定できるのは、累積の放射線量ではなく、その場の空間放射線量になるのでしょうか。
飯塚氏
はい、正確には空間放射線量率になります。もちろんスマートフォンに搭載することで、常にユーザーの身近にあって、間欠動作することで積算した推定値を示すことはできます。ただし、空間線量率の測定は、周囲になにもない、という状況を想定しますが、身につけて累積の放射線量を測定する場合は機器の背後に人体があることになりますので、校正のやり方が変わってきます。今回は空間線量率の測定ということになります。
――「107SH」への搭載ということですが、無線通信を行うスマートフォンへの搭載は難しかったのではないのでしょうか。
飯塚氏
確かに専用機であれば、気にせずに済むところを工夫する必要がありました。特に違うのは温度ですね。スマートフォン内は高い温度になることがありますが、高温になるとノイズが増えますので、一般的な半導体方式の放射線測定機は40度になると利用できないでしょう。しかし、今回の放射線センサーモジュールは温度センサーを搭載して、55度を上限にしています。もしその温度を超えることがあれば、「今は測定できない」とユーザーに案内します。
竹山氏
電磁波については(金属でセンサーを覆う)シールドで遮断しています。ただ、電磁波による影響への懸念がないわけではありませんから、「107SH」では着信時に放射線量の測定を止める、といった形にしています。
――半導体方式は他の方式に比べ、校正の必要はないのでしょうか。
竹山氏
半導体も物質ですから、いつかは劣化します。ただしスマートフォンの利用期間と見られる数年間であれば、校正する必要はないと考えています。また、製造する半導体1つ1つにばらつきがあります。そこで、モジュールの生産時には、放射線源(放射性物質)を測定します。正しく測定できれば数値が「1」と測定されるべきところ、もし「1.1」と毎回表示されるようなチップがあれば、「このチップは毎回10%高めに出る」ということで、モジュール内のメモリ(EEPROM)に書き込んでいるのです。
――測定はどうやるのでしょうか。
竹山氏
「107SH」での測定は、国が定めた、放射線測定の方法と同じです。高さ1mのところで静止して測定することになります。そこで示される数値も、国が掲げる基準に則って判断していただくことになります。
――こうした製品が登場することが、放射線への恐怖を無闇に煽るのでは? という声もあります。
竹山氏
放射線による風評被害を懸念する声があると思います。それは当社内でも議論しました。こうした機会を通じて、どういった性能のモジュールなのか、どう使えばいいのか、多くの方に知っていただければと思います。
――正しく理解して、より安心して生活できる環境作りに、ということですね。さてスマートフォンへの搭載ということで、モジュール開発で最も苦労した部分は?
飯塚氏
低ノイズのアンプ(増幅器)の開発ですね。消費電流を増やしてもいい、コストをかけてもいい、ということであればともかく、安価に低消費電力で、という条件下で、アンプのノイズをいかに小さくするか。今回は、モジュールの中にアナログの回路とデジタルの部品を混載しています。これまで培ってきたCMOSの高周波回路の技術を活用して低ノイズな回路を、小電流、小型化されたチップの中に搭載しました。
竹山氏
消費電力については、今回7.5mWとなっています。しかし、通常、半導体方式のこうした機器では、40mWほどの消費電力がかかります。試行錯誤を繰り返して、ここまでこぎ着けました。小型化についても、今回は20×25×2.5mmと切手サイズとなっていますが、当初はもっと大きかったんです。汎用的な部品で作ったところ30×25×3mmというサイズでしたが、そこから体積比で約55%、小さくしました。これは増幅回路、温度センサー、ノイズ除去回路などを1つの回路にまとめて設計したことで、実現しています。
――こうした放射線センサーのモジュールは、他社も手がけているのでしょうか。
竹山氏
我々が知る限り、今回のモジュールが初めてではないでしょうか。そもそもスマートフォンに搭載して普段の生活で検知する、というニーズが以前はなかった、ということです。これまでは、どちらかというと、東日本に住む方々が放射線量に対して注意を払っていたと思いますが、今後、放射線の影響が長期にわたる可能性があることを考えると、日本各地でも放射線量を心配する方もいるでしょう。今後も、より小型化、あるいは高性能化など製品開発を続けていきたいと思います。
――ありがとうございました。