インタビュー

「auケータイ図鑑」で石野・石川・法林が携帯電話30年の歴史を振り返る

第3回:カメラ、音楽、動画、携帯電話の多機能化が大きく進む

 KDDIのデジタルマガジン「TIME & SPACE」に先日オープンした「auケータイ図鑑」。約30年に及ぶ携帯電話の歴史を振り返り、KDDIの前身である日本移動通信(IDO)やDDI-セルラー、ツーカー時代の携帯電話から2015年のスマートフォンまで網羅したデジタル図鑑だ。同サイトは、先行して3月末に公開された「おもいでタイムライン」ともシンクロしており、時代に沿って音楽やファッションも懐かしむことができる。

 そんな時代を異なる世代の3人、本誌でおなじみの石野純也氏(30代)、石川温氏(40代)、法林岳之氏(50代)に当時を振り返ってもらう。第3回は2000~2003年と2004~2007年。通話やメールだけでなく、カメラや音楽再生といった携帯電話が多機能化していく時代だ。聞き手は本誌編集長の湯野康隆。

2000年~2003年――写真、メールで送って!

 2000年(平成12年)はミレニアムのお祝いで各地が盛り上がるなか、2000年問題(Y2K問題)があってデジタル業界は年末年始に備えなければならなかった。「IT革命」が流行語になるなどインターネットを使うのが当たり前に。流行語と言えばSMAPの香取慎吾さんが扮する「慎吾ママ」の「おっはー」も大流行した。

 大ヒットした曲にはサザンのTSUNAMI、福山雅治の桜坂など。シドニー五輪では高橋尚子さんが大会新で金メダル。Qちゃんの愛称で今も親しまれている。

 そしてなんと言ってもイチローがメジャーリーグに移籍したのが2000年。この年、日本で7年連続の首位打者となったイチローは渡米、翌2001年から現在の2016年まで15年にも渡ってメジャーで活躍し、先日の日米通算安打をはじめ、今も伝説を作り続けている……。さらにサッカーでも2002年にはワールドカップの日韓共同開催もあり盛り上がった。一方で海外では大きな出来事も多く時代が大きく変わりつつあった。

 携帯電話業界では2000年にDDIとKDD、IDOが合併、社名変更などしつつKDDIが誕生した。2001年にはJ-フォンがボーダフォン傘下に入り、2003年には社名がボーダフォンに。なお、2001年には携帯電話の番号に080が追加、携帯電話にとってはまだ先の話だが2002年には地デジも始まっている。

携帯電話をプールやビル下に! 携帯音楽プレーヤーの影響

――2000年前後になり、音にもこだわる時代になりましたね。

石野
 とはいえ当時は和音数で競っていた。今のハイレゾなんて考えられないですよ。

石川
 最初は3和音とか4和音ですよ。

――まだ自分で着メロを打ち込める時代ですね。

石野
 「C309H」が世界初の着メロ16和音! 当時のテレビCMで織田裕二が「こっちは音が綺麗だ」って言っていて、刺激的な内容でした。

石川
 cdmaOneは音が良いっていうね。その前からデジタルホンも藤原紀香のCMで「つながる、しかもいい音で」というキャッチコピーをやっていて、音質が注目されてきた。

――首都高のトンネルで通話品質のチェックをしたりしてましたよ。

石川
 それと「C303CA」も覚えている。G'zOneのはしりですよ。本当にちゃんと防水なのか「日経トレンディ」で実験することになって、横浜の競技用プールを貸し切って、16mくらい上の飛び込み台から落としたりとか。

法林
 後のIP試験的には逸脱しているよね。そんな状況で浸水しても文句は言えないだろという(笑)。

石川
 そうです(笑)。洗濯機に入れて回したりとか。それでも結構大丈夫だったんですよ。

石野
 他誌でもビルの上から落としてましたし。

法林
 たしかにウケたけど、まだこの時期は防水とか耐衝撃がどういう人に向けた携帯電話なのか、あまり見えてなかったんだよね。

石野
 メディアも体当たりだった時代ですよ。

――やりたい放題と言ったほうが……(笑)。ところで2000年といえば懐かしいメール端末がありましたね。

石川
 ドコモからも出ていて、好きだったなあ。

――仕事で使ってみました?

石川
 仕事で使った印象は無いですねぇ。

法林
 俺らはそうですよ。

石野
 僕もテンキー打ちでしたね。メール端末はいらない。フルキーボード使うならパソコンでいい。

法林
 この頃のメール環境ってパソコンの有無ですごい左右されてた感がある。

――デザインも女子向けですし。しかし、よくこの小さなフルキーを使ってましたね……。

石川
 OLが家にパソコンは買えないけど、メールしたいから買ってたんですよ。

法林
 当時は男性のほうがパソコン利用率が低くて、女性のほうが職場で「テキストをまとめて」みたいなパソコン使う率が高かったんだよね。よく「女子のほうがフルキーボードに慣れている」なんて言われていた。

石川
 「フルキーボードで打ちたいから買った」って聞いたね。あと、さっきのC309Hは液晶もポイント。

法林
 IDOで初の256色カラー液晶。

石川
 当時の液晶だから、今と比べたら雲泥の差ですけど。よくドコモやJ-フォンのカラー液晶端末を用意して、3機種でどれが一番良いカラー端末なのか比較してたんですよ。

――黄色かったり、青かったり……。

石川
 そうそう。

法林
 レビューしてたね。

石川
 どっちが発表早くて、どっちが発売早くて……なんて競争もしてた。

石野
 その後もそういうのありますけどね(苦笑)。

――ここでカラーディスプレイが出たおかげで、カメラという流れですからね。

石野
 まだカメラまではちょっと間があるけど。

法林
 当時のケータイ Watchもよく書いてるね(過去記事でC309Hをチェック中)。

C309Hの「ケータイ新製品SHOW CASE」
イージーパレットH

石川
 当時は日立がcdmaOneの端末をよく作ってたんですよね……。あっ! イージーパレット! あったねぇ。

石野
 おぉ、格好いい。BlackBerryみたい。

――ベルトで挟んで使うんですよ。

石川
 あ、湯野さんのコメントあるじゃない。

――この頃は……相当辛口だな……。

一同
 (読んで爆笑)。

――アンテナの長さも測っていたんですよ。

石川
 ねえ、イヤホン端子の写真撮ってますよ。

――いや今でも端子は全部撮るでしょう!

一同
 (笑)。

石野
 端子はとりあえず撮りますよ(笑)。

石川
 あ、文字数の画面、これね。何文字表示できるか。

法林
 何文字×何文字表示できるかっていうね。

石野
 この携帯電話の画面を撮るのもね、モアレ(画像に縞模様が入ってしまう現象)が大変だったんですよ。

石川
 当時の液晶だとそうなんだよね。紙媒体はとくに大変だった……しかも当時はカメラがフィルムで。

――ケータイ Watch編集部だけのモアレ対策のノウハウがあったんですよ。

法林
 あったね。よそはモアレしてもうちはしないっていう。

石川・石野
 え、斜めに撮るとか?

石野
 あとボカシを少しかけるとか……。

編集部が当時独自に開発した(?)「SPAD(Shirane Photo ADapter)」

――そういうのもあったんですけど、「スパッド」と呼ばれるものがありまして……「Shirane Photo ADapter」っていう(笑)。

石川
 え、白根さん(白根雅彦氏、ケータイ Watchの元スタッフでライター陣の一人)が開発したの?

――はい(笑)。筒を端末に立てて、マジックテープで止めるっていう。

石野
 僕なんかは後期になるとPhotoshopで軽くぼかしてモアレ消してましたけどね。それでバッチ処理かけて。当時は大変でしたね。最初に作ったケータイ本はモアレ出まくって怒られましたから。

石川
 カラー表示になってその問題が出てきたし、画面サイズ競争もあったよね。「日経トレンディ」に画面を原寸大に載せて、それは結構好評で。後々にはキャリアのカタログもそうなりましたし。

――あとは2000年の携帯電話というと……。

石川
 フェラーリモデル!(ツーカーの「TK03」)、あと“あゆ”モデル(浜崎あゆみデザインのツーカー「TT03」)。

石野
 ありましたねぇ。

法林
 すごく売れたわけではないけど、印象は強い。フェラーリモデルはスペックが少し前で。

石川
 “あゆ”モデルのほうが「TT02」ベースだからスペックは悪くないんだよ。あとデジタルホンがケンウッドつながりでマクラーレンモデルを出したりしてた。

――さすがモータースポーツジャーナリスト(石川氏の別の面)。

石野
 あと「DIVA C404S」が欲しかったんですよ。まだこの頃学生だったので……。

法林
 俺は持ってるよ。湯野君とたくさん書いたもの。「C406S」のほうが好きだったけど。

石川
 当時はメモリースティックかSDカードか、なんて比較もあったし。

石野
 音楽配信ってこの頃からやってたんですね。

法林
 PHSでシャープがやっているんだよね。メモリースティックを使って。ドコモの64K通信を活かすためにM-stageというサービスで。

石野
 この頃ってデータ通信はPHSという時代ですもんね。

法林
 だからDIVAの場合は、音楽配信というよりもPCから音楽を取り込んで挿すっていう。詳しいことは過去のケータイ Watchを……(と皆で過去記事を見始める)。

C404Sの「ケータイ新製品SHOW CASE」

石野
 パーソナルモード搭載って今のフライトモードですよ。

石川
 湯野さんのコメントが優しい(笑)。

――私のコメントはいいんです(笑)。

石野
 連文節変換が特長に挙がってますね。

法林
 POBoxの1号機がたしか404Sと406Sなんだよね。変換したら俺の名前が出て驚いたんだよ。

石川
 出た! 文字変換癒着パターン(笑)。

一同
 (爆笑)。

法林
 違うって!(笑)。俺じゃなくて、開発者と同じ部署に弟がいたの。それで珍しい文字を変換するときに、辞書にどういうものを入れるか、となったときに弟の名前が入ったの。俺は知らなかったんだけど、POBox使ったら名前が出たから「あれ?」ってなって、弟に聞いてみたらそんな事情だった。

石野
 それがゆくゆくはiPhoneのフリック入力につながるわけですね(当時の開発者がアップルへと移ることになる)。

法林
 ともかく、ちょうど2000年前後にMP3プレーヤーが流行りだして、音楽プレーヤーを皆がやりはじめたんだよね。

石川
 iPodって発売はまだ?

石野
 まだですね。その前に携帯音楽プレーヤーがたくさん出てきた。

法林
 とくに韓国からね。アイリバーとか。

――ただ、日本は著作権保護が厳しくて難しい時代だったんですよね。

石川
 そうそう。だから器はあるんだけど音楽が降ってこないっていうね。

石野
 保存容量も小さかったですよね。そこにiPodが普及した。

法林
 それが2001年だね。東芝製のHDDを搭載。5GBだった。東芝はgigabeatも作ってた。2000年代前半は音楽がトピックだったよね。

――それが「着うた」「着うたフル」と続きますもんねぇ。

石野
 auの黄金時代と言ってもよいですよね。

石川
 携帯電話業界は何年かに1回主役が代わるって言われているけど、まさにそんな感じ。あと、この時期「C5001T」という動画配信端末も出たんですよ。

――800KBのデータフォルダが“大容量”と言われてましたね。

石川
 そうそう。auが頑張っているのを感じる。

法林
 あと「C1002S」。

石川
 あぁ、着せかえパネルの。

法林
 カッパーみたいなデザインのパネルは持ってたなぁ。ハイエンドではない1000番台だったけど良い端末だった。

石野
 この頃は1000番台と3000番台で分かれていたんですよね。「auケータイ図鑑」では今のソニーモバイルとしてますが、この頃はソニー・エリクソンですね(2001年10月1日に誕生、ソニーとエリクソンの合弁会社。後に合弁を解消し2012年にソニーモバイルに)。

法林
 そして「C3001H」が出て、EZナビ、アプリが始まる。「auケータイ図鑑」の端末画像の画面にも表示されているけど、お台場のパレットタウンで発表会をやったんだよ。

石野
 2001年はドコモも503iシリーズでiアプリを始めて、ゲームを投入している。それらが今のスマホのアプリにつながるわけですよね。

石川
 「C413S」も印象が残ってますね。

法林
 Bluetooth搭載だ。

石野
 ああ! Bluetoothですか。

石川
 今と違ってつながらなかったんですよね。

――音声ではなく、データ転送用?

法林
 vCardのやり取り用だね。プロファイルとかあまり無い時期で、パソコンとかにも搭載されていない、搭載されている端末自体少数だった。

石野
 赤外線の代わりみたいなものですね。

石川
 「C1001SA」もグローバルパスポート(国際ローミング)対応で覚えている。これ使ってたもの。

――PDC(2G)では国際ローミングができなかったですからね。

石野
 ドコモはFOMAの「N900iG」(2004年発売)まで待つ必要があって、その前にGSM対応の端末があったくらい。

法林
 C1001SAは米国、韓国、香港、オーストラリアなどで通話ができる。これはJavaを搭載した端末なんですよ。ezplusでは無いけども。

石野
 「C3002K」のモバイルWnnとかスマホの文字入力の礎がこのあたりから見られるわけですよ。

石川
 「C451H」がezplus対応機ですよね。覚えているもんだなぁ。

GPSケータイにau design project INFOBARの登場

法林
 2002年になると「A3012CA」が遅ればせながら、au初のカメラケータイとして出てくる。

石川
 J-フォンが写メールを始めて、auは「Pashapa」(外付けカメラ/2000年発売)をやっていたんだよね。ツーカーも「LaPochee」(1999年発売)をいち早く出してたんだけど。

石野
 カメラはドコモがさんざん遅れましたからね。

石川
 この頃はだけど楽しかったね。

法林
 取材に行ったら仲良くなった開発者の人とカメラケータイで記念撮影したり。

――ありましたね。あとは「A5301T」のムービーメール対応ケータイ。

法林
 最初の頃の端末は内蔵メモリーだったから、SDカードが付いているだけで話題になった。

石野
 時代早過ぎますよ。このときにムービーメールって。

石川
 auの通信速度が速かったからね。早過ぎ感はあるけど。

――この時点でサブディスプレイがカラーのケータイとか出てきてるんですよね。

法林
 凄いよね。「A3015SA」とか。

石川
 あ、これ使ってた。

石野
 まだ三洋があった時代ですよ。

――三洋と鳥取三洋があった時代ですからね。

石川
 大阪にもよく取材にいきましたよ(三洋電機の本社が大阪にあった)。

法林
 2002年は「C3003P」も出た。

石川
 GPS搭載機ですね。発売は結構遅れたんですよ。

法林
 これがナビウォークにつながるわけですよ。

石川
 これは感動しましたよ。ビルの前で自分の場所が分かってね。

法林
 画期的な端末だよね。

石野
 この頃にはもう僕も出版社で編集者やってたんですよね。だいぶ記憶にあります。

――2003年になると「A5305K」ですか。

法林
 出た! リボルバー。これは格好良かったね。

――これをいかに片手で開けるかですよ。

法林
 そうそう。開けるのがすべてだからね。

石野
 ドコモのソニー端末からも出ていましたよね。あっちは右手でカチッと開く。

――開き方が逆とかありましたよね。

石川
 「A5303H」も覚えてますね。

石野
 カメラが回る端末ですね。

法林
 そう、ウルトラマンみたいなデザインでね。「W11H」も似たデザインで。

石野
 WINが始まって、これで定額時代に突入ですね。それに「W11K」は京セラ製ですけどau design projectモデルですよ。深澤直人さんが携わっている。

石川
 着脱タイプのminiSDカードなんだよね。裏のカバー外して付けるっていう。

法林
 WINによって初のパケット定額制・EZフラットですよ。当時は情報が全然出てこなくて、メーカーさんも発表会まで知らなかったみたいだね。

石川
 皆がパケ死パケ死って言っているときにやったんだから。

法林
 それは凄かったよね。

石野
 ドコモはFOMAを始めたけど、まだ900iシリーズが出ていないし、パケ・ホーダイ(2004年開始)はまだまだ先で。

石川
 505i(2003年)、506i(2004年)と出てからだから。

石野
 この頃、3Gのケータイといえば、auが圧倒的に通信速度が速くリードしていましたからね。

石川
 WINでは無いけれど、この頃の「A5503SA」も記憶にありますよ。FMラジオ端末。「A5403CA」は200万画素カメラ。

石野
 「A5404S」なんてVAIOっぽい感じがしません? 格好良かったので欲しかった覚えはあるんですよ。

石川
 あとは「INFOBAR」(au design project)ですよね。

法林
 不朽の名作ですよ。2003年発売だけど、その前年にCEATECがあって、先行で出していたんだよね。

石野
 コンセプトモデルですよね。

法林
 本当にこれは出るんですか? って広報の偉い人に聞いた覚えがある。

石野
 15年くらい前なわけで、ずいぶん前の感じがしますよ。INFOBAR自体、2008年くらいに発売してそうなイメージがある。

法林
 まだ実機残してあるよ。INFOBARシリーズのNISHIKIGOIは全部残してある。au design projectって良かったよね。ものすごいインパクトがあった。しかもINFOBARは鳥取三洋製。

石野
 そうそう、当時からau design projectといえば鳥取三洋。

石川
 モバイルインターネットの前の端末には思い入れがあまりないんだよね、電話しか使っていないから。だけどこの頃からフィーチャーフォンにいろんな機能が追加されて面白味、ワクワク感が出てきた。

――この頃の発表会ってどうでした?

法林
 iモードの発表があったときは、メインはテレビCMの発表会だからね。

石川
 広末涼子を見に行きたいだけっていう(笑)。

法林
 会場の後ろに端末を並べただけで。今のように大きい発表会ではなくて、KDDIも自社の講堂でやったり、ドコモもビルの一室とか。モデル数が少ないというのもあったけど、今はメディアも増えて大きな発表会にしなければいけない、みたいになっている。だけどサービスを説明して勉強して、という昔の発表会の方向があってもいいと思うよ。

2004年~2007年――多機能化? ガラケー化?

 2004年(平成16年)~2007年は世界中で大きな事件、出来事が多かったが、まず2004年のBSEによる牛丼の販売停止は日本の庶民にも痛い出来事だった。プロ野球では東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入、福岡ソフトバンクホークスが誕生と野球史に残る出来事が。九州新幹線の開業もこの年。

 2005年には愛・地球博開催。モリゾーとキッコロを覚えているだろうか。この年、つくばエクスプレスが開業。秋葉原に新たな玄関口ができることとなった。

 携帯電話業界では2004年にauが「ダブル定額」を開始、2005年にはツーカーがKDDIと合併、2006年にはボーダフォンがソフトバンクに売却され、ソフトバンクモバイルが誕生。モバイルSuica、ワンセグ、携帯電話番号ポータビリティ(MNP)も始まった。

最も格好いいケータイはtalby? ブランドケータイが続々登場

法林
 まず2004年に挙げられる端末は通話専用ケータイの「ツーカーS」(TK50)でしょう。

石野
 これは後から発売されたau版も別にあるんですよ。さらにこの時期はWIN端末とWIN対応でないけども魅力のある端末と分かれて、端末選びが悩ましい時期になるんですよね。

法林
 「A5406CA」は3.2メガカメラ搭載で、カメラ競争ではカシオぶっちぎりでしたよね。

石野
 J-フォンのシャープとauのカシオが2強でしたよ。

法林
 カメラはそうだったね。

石川
 だけど自分は「W21SA」を買った記憶がある。

法林
 2軸ヒンジの端末だったからね。それと2003年のINFOBARも凄いけど、僕のなかでは今でもこの年の「talby」が……。これは本当に凄い。“格好いい”とはこうだよね、という端末。

石野
 まだ持ってますよ。欲を言うとメタルでつくってほしかった。今の技術ならできそうなんですけどね。

石川
 こういう個性がスマホでなくなったよね……。

法林
 数年前にもまだ使っている人見たなあ。どうしても手放せないって。さらにこの年に発売した「W22H」はおそらく歴史上もっとも尖がったスライド端末。

石野
 サイズが大きいんですよねぇ。

――スライドの動きは滑らかでしたね。メーカーがスライド用のバネの入れ方に命をかけてた時代ですね(笑)。

法林
 よくこれを出したよな。

石川
 よく企画通ったな、って。

石野
 これくらいのアグレッシブさは今欲しいですよ。

石川
 「W22SA」も好きだった。これもFMラジオケータイ(笑)。

――自分のラジオ番組の宣伝しようとしてるでしょう(笑)。

一同
 (笑)。

石川
 短波だから(笑)。(※石川氏の番組「石川温のスマホNO.1メディア」はラジオNIKKEI毎週木曜日22時から放送中)

法林
 「W21CA」はこの形としては最高傑作でしょう。

石川
 質感良かったなあ。

石野
 お、起動音ですか?(※「auケータイ図鑑」では一部端末の起動の様子なども再生できる)。

――起動結構早いですよね。

法林
 これが12年前というのはショックだよね。

石川
 2005年は……「W31S」。

――まだウォークマンの名前がついてないんですよね。海外では出てましたけど。

石野
 ウォークマンの名前がついたのは後なんですよね。

法林
 ロゴがついたときだよね。

石川
 あと「W31SA」も買った。

法林
 それもFMラジオケータイ!(笑)。

一同
 (笑)。

石野
 僕が全然買わなかった端末ばかり言うなぁと思ったら(笑)。

石川
 いや、ラジオが入っていたから三洋製を買っていたんですよ(苦笑)。

――石川さんはこの頃出版社を辞めて独立したのでは?

石川
 前年ですね。

石野
 僕も独立してtalbyを買った記憶がある。

――じゃあ、この頃には皆さん独立してたんですね。当時の端末でいうと印象が良いのは。

石川
 「W31CA」は良かった覚えがある。

法林
 完成度が上ったんだよね。このときにPCサイトビューワーを搭載した。

石川
 “京ぽん”がこの少し前だっけ?

――そうですね(京ぽんはウィルコムの京セラ製PHSの愛称、2004年5月に初代が発売)。

石野
 それでフルブラウザブームがきてたんですよ。iアプリ向けの「jigブラウザ」が出て。

法林
 あとは「G'zOne TYPE-R」だよね。これにはとても思い入れがある。

石野
 名作ですよね。

――Kスタ(KDDIデザイニングスタジオ/2005年3月~2014年11月に営業)がオープンした頃ですね。

石野
 懐かしい。今や建物(独特のデザインだった)も無くなって更地なのに。

石川
 おサイフケータイもありましたね。「W32H」「W32S」とau初FeliCa対応。

石野
 ドコモは2004年にもう対応していたんですよね。

法林
 そう、FeliCaはね。だけどauはモバイルSuicaへの対応を狙って準備してたんだよ。

――さらにこのタイミングでau ICカード、SIMカードを搭載したんですよ。

一同
 あぁ~。

石川
 あと三洋が……。

一同
 (笑)。

法林
 またラジオじゃ……。

石川
 「W33SA」ですよ! ほら世界初! ワンセグ対応!

一同
 (笑)。

法林
 たしかにそうだけど、世界は(笑)。

石川
 ブラジルがあるじゃないですか! このあとデジタルラジオもありますから!

一同
 (笑)。

石野
 だけどワンセグは相当盛り上がりましたよね。

法林
 2006年になるとペンギン! 「W41CA」でしょう。

石川
 あぁー出た。おサイフケータイも使えて、お、LISMO!。え、「LISTEN MOBILE SERVICE」の略だったんですか?

石野
 知らなかったんですか? 原稿に書いた気がするんですけど。あとハードディスクケータイ「W41T」!

――4GBのHDDを搭載していたんだけど、メモリーカードの進化が早かったんですよね。

法林
 あとは2006年の端末として「neon」がある。いいデザインだったね。「W41H」も使ってた。これもワンセグ用。

石野
 W41Hは僕も使ってましたね。スペックが凄かった。

――「ジュニアケータイ」(A5520SAが2月に同IIが2006年9月に発売)も出てきます。

石野
 ドコモも「キッズケータイ」を出していた時期ですね。あとはウォークマンケータイの「W42S」はインパクトのある端末です。下にジョグダイヤルが付いているんですよね。曲選択ができる。

法林
 リモコン付きのイヤホンがあったよね。さらに折りたたみで帰ってきたG'zOne「W42CA」。これも格好良かったよね。

石野
 auではシャープ初登場の「W41SH」も2006年ですね。ファブリックなデザインの。シャープはJ-フォン、ドコモの主流になり、auにきて3キャリアに広がってきた。

――さらに石川さんお待ちかねのデジタルラジオ対応の「W44S」(笑)。

石野
 側面に突起がある、インパクトのある形状です。

法林
 縦にも横にも開くデュアルケータイね。

石川
 だけど当時、新宿の自宅でデジタルラジオが入らなかったんですよ……。

一同
 (笑)。

石川
 「W47T」も覚えている。テレビ電話(au初対応)!

法林
 「W47T」と「DRAPE」は中身が同じで、どちらも坂井直樹さんがデザインした端末。

石野
 もう記憶が鮮明ですね。発表会も思い出す。このときはまだ他社とのテレビ電話とはつながらないんだよね。

石川
 2007年は……。

石野
 「MEDIA SKIN」! デザイナーは吉岡徳仁さん。

法林
 このデザインだから当然だけどテンキーは打ちづらかった(笑)。

石野
 スペックが高ければ買いたいんですけどね。

石川
 「AQUOSケータイ W51SH」も印象に残りますね。

法林
 サイクロイドね。画面が大きいので他社のサイクロイドよりも大きい。

――当時は盛り上がりましたね。

石野
 ブラウザを見るときに横画面にしたりしましたね。

石川
 この頃からブランドを付け始めたんだよね。カメラブランドとか。

法林
 「EXILIMケータイ W53CA」が出たり。

石川
 そう、だからブランドの無いメーカーはどうするんだろう? という話をしていた覚えがある。

――「W52CA」も良いケータイでしたよね。

石川
 名機ですよ。使ってた。

法林
 ゴツクなくて防水。発表会に風呂桶持ってきていたね。

石野
 「W52P」もパナソニックがauに久しぶりに投入して覚えがある。

石川
 ドコモでワンプッシュが売れていたんだよ。

法林
 MNPが2007年の3月に始まって。

石野
 そのMNPに合わせて他社のケータイも揃えなきゃ、となったんですよ。

――そして「INFOBAR 2」。

石野
 これは完成度高かった。最初に展示した原点に近いんですよ。アンテナが無かったから。

石川
 そう、だからすごく原点に近くなった気がした。あと「W55T」も覚えている。島耕作のコンテンツが入ってた。

法林
 よく覚えてるねえ。

――クレジットカードサイズの端末ですね。

石川
 あと島耕作ケータイというもありましたよね。

――それがW62Pベースで2008年に登場しますね。次はいよいよ最終回です。

(第4回へ続く)