みんなのケータイ
Apple Watch、38mmと42mmの両方を使い比べ中
白根雅彦
(2015/5/28 06:00)
Apple WatchはApple Watch Sport 38mmモデルとApple Watch 42mmモデルを購入し、いろいろ模索しながら使い分けをしている。
普通の人がApple Watchを2台買う必要はまったくない。そもそも1台のiPhoneに2台のApple Watchをペアリングすることは不可能だ。しかし、筆者はアップル製品のファンとして、これまで続けてきたウェアラブルデバイス研究の一環として、そして何よりインプレスより絶賛発売中の「できる Apple Watch スタート→活用 完全ガイド」の著者の1人として(さりげない宣伝)、多数のモデルがあるApple Watchから少なくとも2台買い、その違いを見極めたいと考えたのだ(編集部:であればApple Watch Editionも……)。
まず当たり前だが、42mmの方が画面が大きいのでタッチ操作がしやすい。長さでは約1割しか変わらないが、実際に使い比べて見ると、「かなり違う」と感じられる。たとえばロック解除のパスコード入力画面は、38mmだと「タッチ面倒だなー」となるが、42mmなら「まぁありか」となる感じだ。
見やすさも42mmの方が上といえば上なのだが、Apple Watchは文字のサイズを調整できるので、自分の好みに合わせて設定しておけば、見やすさに大きな差はない。画面の解像度も違うようだが、これも差はほとんど感じられない。
重さの実測値としては、Apple Watch Sport 38mmモデルにS/Mサイズのブラックスポーツバンドを付けると49g、Apple Watch 42mmモデルにMサイズのレザーループバンドを付けると80gだった。前者は腕時計としては軽めで、装着していても気にならないが、後者は「腕時計を着用している」としっかり感じられる重さだ。
腕が標準もしくは太めの人には、42mmの方がバランスが良いとも思うが、38mmのSportモデルの軽量コンパクトさは、ほかのスマートウォッチにはない魅力でもある。手首周りが16cm弱の筆者としては、どちらも良いと感じられ、未だにどちらか一方には決められていない。どのモデルが良いかは腕の太さや好み次第なので、購入を検討している人は必ず店頭で試着するべきだ。
1台のiPhoneに複数のApple Watchをペアリングさせることはできないので、筆者はメインのiPhone 6にApple Watch 42mmモデルを、予備のiPhone 6 PlusにApple Watch Sport 38mmモデルをペアリングし、前者を外出時用、後者を在宅時用として使い分けしている。
筆者の場合、Apple Watch以前からいろいろなウェアラブルデバイスを使っていたが、在宅時は外していることが多かった。しかし、Apple Watch Sport 38mmモデルは軽くて邪魔になりにくいことから、在宅中、シャワーと就寝以外はほぼ着用している。とにかく軽い着用感が魅力だ。
一方のApple Watch 42mmモデルは、ピカピカなケースがほどよく主張する大きさで気に入っている。筆者は基本的にファッションに無頓着な人間だが、ジャケットの袖からチラりと見えるように着用してると、「オレはデキるオトコ」という根拠のない自信が湧いてくる。
正直なところ、Apple WatchはすべてのiPhoneユーザーにとって最適なウェアラブルデバイスではないと思う。そもそもウェアラブルデバイスはスマホ以上に、利用スタイルや好みなどさまざまな要素に左右されるものなので、1つの製品がすべての人のニーズをカバーするのは不可能だ。
たとえば通知だけなら、カシオのSTB-1000の方が腕時計としての使い勝手が維持されているので便利な面もある。筆者も泊まりがけの出張時には充電不要なSTB-1000を使うと思う。ほかにもシチズンのProximityのように、アナログ腕時計としての質感を維持しているスマートウォッチもある。人によっては腕時計型ではなく、雰囲気メガネのような別形状との相性が良いこともあるだろう。もちろんウェアラブルデバイス自体が不要なスマホユーザーだって少なくないはずだ。
それでもApple Watchは、iPhone向けの多機能ウェアラブルデバイスとしては群を抜く完成度と機能性があり、人によってはスマホに並ぶ「必需デバイス」となる可能性も秘めている。衝動買いするにはちょっとお高いデバイスなので、興味がある人はまず、インプレスより好評発売中の「できる Apple Watch スタート→活用 完全ガイド」(http://book.impress.co.jp/books/1114101128)を購入して検討されてはいかがだろうか(再宣伝)。