捲土重来を期すパナソニックの重要モデル

2009年3月27日 11:00
(橋本保)

 今回から参加させていただくことになったフリーライターの橋本 保です。私が選んだ機種は、パナソニック製の「P-01A」。意外にも「みんなのケータイ」でパナソニック製のケータイを扱うのは初めてのようなので、私なりの思い入れも交えながらご紹介をしたいと思っています。なので、ちょっとパナソニックの簡単な歴史から。

 携帯電話を手掛けるパナソニックの正式な会社名は、パナソニック モバイルコミュニケーションズ。パナソニック本社の沿革によると、その前身となる松下通信工業が1958年に設立され、1968年に日本電信電話公社(NTTの前身)へポケベルを納入をしています。

 携帯電話では、1990年にIDO(現KDDI)から、「ハンディフォンミニモ」(54×165×27.5mm、298g)を発売。翌1991年には、さらに小型軽量化した容積150cc、重さ200gの「ムーバP」を日本電信電話公社へ納入。小型軽量モデルを得意として、NEC、富士通、日立などの旧電電ファミリーと並び立つメーカーとしてのポジションを築いていきます。

 余談ですが、この背景には米モトローラ社との小型軽量競争がありました。一例を挙げると、前述の「ムーバP」は、モトローラ社が世界を席巻した「マイクロタック」(日本版は「トーキョーフォン T61」)の対抗モデルですし、1996年にデジタル方式の携帯電話としては世界で初めて重さ100g、容積100ccを下回るモデルとして爆発的ヒットをした「デジタル・ムーバP201ハイパー」は、1996年1月に登場したモトローラ社の「スタータック」を強く意識した機種でした。とはいえ、この小型軽量戦略はとてもユーザーから支持され、前述の「P201」と同等スペックの機種が当時の全携帯電話会社から登場するなどして松下通信工業は、圧倒的なシェアを獲得します。

 ただ、iモードに代表されるインターネットサービスが普及してからは少し情況が変わります。それまではケータイの利用スタイルは"もしもし、はいはい"の「電話」が中心でした。が、インターネットにつながるようになってからのそれは、「メール」や「Webアクセス」へ移行しました。当時のCM風にいうなら「話すケータイから、使うケータイへ」変わりつつあったのです。こうしたサービスの変化に伴い、ケータイは、メール作成などやしやすい大きめのボタン、情報を見やすく表示できる大型ディスプレイが搭載しやすい折りたたみ型へとシフトしていきます。

 ストレート型で市場を席巻していた同社が折りたたみ型を世に出したのは2000年8月の「デジタル・ムーバP209iS」から。当時の主力モデルであるNTTドコモの5xxシリーズで折りたたみ型が出てくるのは、2001年5月発売の「ムーバP503iS」なので、iモードのサービス開始から、少し時間がかかりました。その結果、シェアNo.1の座をNECに明け渡し、一度は首位に返り咲いたものの、現在はシャープの後塵を拝しています。ちなみに現社長の脇 治氏はVIERAケータイ(P905i)の商品説明会で首位奪回を宣言、2008年11月の新商品説明会では石井圭介商品企画担当取締役が「2008年度中に(1位の)シャープを逆転することはない」と言いつつも「来年(2009年)、再来年とキャッチアップしていく」と手応えがあることを示唆しています。

 こうして振り返ると「P-01A」は、捲土重来を期すパナソニックにとって重要な機種であることが想像されます。VIERAケータイのマイナーチェンジモデルという印象が強く、他社製に比べると派手さには欠ける部分もあるでしょう。しかし、基本性能を中心にパナソニックの底力ともいえるポイントがいくつも見つかります。そんなところを中心にご紹介をしていくつもりです。

 そういえば、Pの特徴であるワンプッシュオープンは、「P504i」のころから貫いている機能の一つですね。振り返ってみて、改めて気付きました。