スマートフォンアプリ開発のツボ

MetaMoJiが目指す未来、世の中を変える手書きの力


株式会社MetaMoJi 代表取締役社長 浮川和宣氏

 ジャストシステムを設立し、日本語入力ソフト「ATOK」の生みの親でもある浮川和宣氏。2009年にはそのジャストシステムを離れて株式会社MetaMoJiを立ち上げ、現在は主にスマートフォンやタブレットなどのモバイル端末向け日本語入力システム「7notes with mazec」をはじめとする、手書き入力にフォーカスしたアプリ開発を手がけている。

 浮川氏の電撃的な再起業からおよそ2年半。最近では同社の「7notes with mazec」がサムスンの「GALAXY Note SC-05D」「GALAXY S III SC-06D」やLGの「Optimus Vu L-06D」にプリインストールアプリとして採用されるなど、日本語入力システムとしての評価がますます高まってきている。順調に業績を拡大してきている中で、同氏が今何を考え、今後どのように製品展開していくのか、お話を伺った。

「キーボードを使えない=インターネットを使えない」を解決する

――MetaMoJiを設立して2年半がたちました。設立当初、どんな考えで新事業を展開していったのか、教えていただけますか。

浮川氏
 わたしと専務(浮川初子氏)と、あと何人かでジャストシステムを離れてMetaMoJiという新しい会社を作りました。当時はiPadもまだ出ていない頃です。PCベースのインターネット上のサービスに関するアイデアがいくつかあったので、それを実現するために活動していました。

 そうして半年ほど経ったときに、iPadが突如出現して、興味が湧いたのですぐに入手しました。しかし、ソフトキーボードをタップして文字入力するのは、もうこれからの時代には合わないよね、と。ハードウェアキーボードのボタンを押して入力するのならまだ分かるけれど、画面の半分ほどを占有してしまうソフトキーボードをわざわざ使うなんて、せっかくいろいろできるタッチパネルなのにもったいない、という意見がみんなから出たんです。

「書き流し」モードで書いて「後から変換」(画面はiPhone版)

 我々は長年、日本語変換システムを作ってきたものの、いろんなしがらみがあって操作性に関わる部分も含め実現できなかったことがたくさんありました。しかしiPadを使ってみたとき、やっと“手書き”というのが可能になったのではないかと思いました。それまではキーボードで使う日本語入力システムを作っていた手前、声高には言えない状況だったんですが、「キーボードって実際のところ使いにくいよね」なんて思っていました(笑)。ハードウェアキーボードみたいな、たくさんスイッチがついて非常に複雑な装置に見えますから、初心者やお年寄りにとってはものすごく抵抗感を感じるようですね。

 もしキーボードというしがらみから抜けるのであれば、これからはどういった日本語入力システムがあり得るのか、と考えたとき、まさにタッチパネルを活かした“手書き”が最適だろうと考えたわけです。

――手書きの場合、長い文章だとかえって時間がかかってしまうように思えるのですが。

浮川氏
 いえいえ、そんなことはありません。連続して“書き流し入力”もできる「mazec」であれば、何ページにもなる文書だって楽々書けるんですよ。手書きに関していえば、お年寄りのほうがずっと上手でしょう(笑)。

 お年寄りは長い人生経験を積んでらっしゃいますから、いろいろな知見をお持ちなわけです。もしそういう人たちが今よりももっとインターネットにアクセスして、もっと情報発信できるようになったら、もっと素晴らしい情報の宝庫になりますよ。

Android版ではIME(日本語変換エンジン)として、さまざまな場面で活用できる

――従来は、漢字を知らなければ、手書き入力では漢字を含む文章を書けないと思われがちでした。

浮川氏
 そこが「mazec」の名前の由来にもなった“交ぜ書き”のメリットであって、従来の手書き入力システムと異なるところでもあります。分からない漢字はひらがなで書けばいいじゃないか、と。たとえば画数の多い“会議”の“議”は、めんどうだと思えば“会ぎ”と書いてもいいんです。

 ちなみに、インターネット接続可能なテレビを開発しているいろいろな家電メーカーの方々と話をする機会があったんですが、お茶の間のテレビの前にキーボード、というのは、そぐわないと考えています。でも、未だにキーボード以外に適当な解決策を見いだせていなかったですね。こういうところでも手書きできるタッチデバイスが適していると思いますね。日本の教育水準から考えると、とりあえず手書きで入力できるデバイスがあって、難しい漢字はひらがなで入力できるようにしておけば、日本中の小さいお子さんからお年寄りまで、ほとんど誰でも使いこなせるはずですね。

 そもそも、キーボードをまともに使えるユーザーは、おそらく日本の全人口の半分くらいです。IT業界の人たちは、そこまで少ないとは考えていないでしょうが、実際のところ、キーボードを使えるのは6000万人くらいなんですよ。残り半分のキーボードを使えない人たちのことは考えない、リーチしなくてもよいと端から考えてしまっているんですよね。

 でも、我々はその6000万人にもITの便利さやすばらしさを使いこなしていただく手段を提供しなければと考えています。「mazec」があれば、キーボードが使えなくても、手書きでコンピューターやモバイル端末を操れるようになる。“キーボードを使えない=インターネットを使えない”ということですからね。検索も、ネットショッピングも利用できなければ、さまざまな情報を目にすることもできません。キーボードが使えず、テレビやラジオしか情報源をもたない人は、今や世の中の動きをつぶさに知ることができなくなっているわけです。ものすごく極端なことを言えば、社会の進化に無関係な人たちがまだ大勢いるんだということです。我々の「mazec」がそういう人たちの助けになるんじゃないでしょうか。

 ATOKでは漢字を書けない人を増やしてしまい、今はそういう人たちに対して「漢字が書けなくても入力できるmazecというのがあるんですよ」ということで、意図せずマッチポンプみたいな形になってしまいましたが(笑)。

――キーボードを使えない人でも、インターネットの世界に無理なく入って来られるようにするツールが「mazec」ということなんですね。

浮川氏
 まずはそれが「mazec」で実現したい目標の1つですね。もう1つ、キーボードでの文字の“変換”という操作も大きな壁なんじゃないかと思っていました。長い文章をキーボードから入力するとき、頭の中に自分が書きたいと思っている文章はあっても、自分の考えた通りに正しい文章に一発で仕上がることはなかなかないですよね。一度入力し変換操作をし、行きつ戻りつして修正しながら書いていくことになります。しかし、紙に手書きする場合はそうではなくて、最初から最後まで、手戻りせずに一直線に書き殴るくらいのことができるんです。ということは、手書きするとき、手や指を動かすこと自体は気にならないんですね。

――つまり、キーボードの場合は文字の“変換”という操作が考えることを阻害しているのではないか、ということですか?

浮川氏
 そうです。そう考えて、約25年前にATOK3の開発の頃、“変換”というのをいかに意識させずに文字入力させるか、ということを試行錯誤してきました。たとえば変換を一切せずに、ひらがなやカタカナだけで文章を完成させてしまえば、“変換”に煩わされることはありません。けれど、文章の区切りなどが分かりにくくなってしまって、後から読んでも何を書いているのか理解できなくなってしまいます。その点、「7notes with mazec」であれば、とりあえず全部「書き流し」で書いて、“後から変換”機能を使えばいい。“後から変換”機能を使うと、一度入力した手書き文字をとりあえず記録しておいて、後からまとめて日本語変換できるのですから。文章を書くときは書くことに集中してもらえればいいんです。

 皆さんのような記者であれば、“変換”だけしてくれる秘書みたいな人を雇う、というのもアリでしょう。インタビューの現場で、相手の話を聞きながらメモを取って、文字変換もしつつ、次に何を聞くか考える……と同時に何個も並行作業するのは難しい。とりあえずダーっと変換を気にせずに書き流しでメモしてしまって、あとはそのメモを秘書にメールで送れば、インタビューが終わった直後にテープ起こしも完了するはずです。「7notes with mazec」の技術を使えば、そういう作業分担だって可能になりそうですよね。

 ただ、かな漢字変換の仕組みが生まれてから30年近くも経っているというのに、いまだに100%確実に変換できるようにはなっていません。30年ですよ。30年もあれば本当なら限りなく100%に近い確率でかな漢字変換できるはずなのに。もし確実に変換できるようになったなら、“変換”ということは忘れて、紙に手で書くのと同じようにコンピューター上でも書けるようになるんじゃないでしょうか。

エンドユーザー視点の実用技術が差別化のポイント

GALAXY Note SC-05Dには「7notes with mazec」がプリインストールされた

――GALAXY Note SC-05DやGALAXY S III SC-06Dに「7notes with mazec」がプリインストールされました。Optimus Vu L-06Dなど、他にもプリインストールされた新端末が出る予定ですが、今後はプリインストールとApp Store/Google Play Storeでの配信と、どちらを主軸にしていくのでしょうか。

浮川氏
 すべてのメーカーの端末にプリインストールされるとは考えていませんので、どちらを主軸に、ということはありません。App StoreやGoogle Play Storeでの配信も続けていきます。

 今回サムスンさんやLGさんの端末にプリインストールされる運びになったのは、先方から積極的な打診があったからでした。それまでは、いろいろな国内メーカーに我々の方から営業していたのですが、結果的にあっさり決まったのは韓国の2社だったんです。

――手書き入力のシステム自体は、端末メーカーを含め他社もかなり以前から開発していますが、わずか2年ほどで御社の製品レベルが一気にトップに躍り出たように思います。要因はどのあたりにあるのでしょうか。

浮川氏
 「7notes with mazec」の開発をスタートしたとき、これから始まる“新しい手書き像”を考えようと思っていました。他のメーカーのことは気に留めていなかったのですが、交ぜ書きで誰でも簡単に入力できる仕組みを作ってみて、いざフタを開けてみたら、他の手書き入力システムでこのような形になっているものがない、ということが分かりました。

 おそらく他のメーカーでは、産学協同で基礎研究から始めています。その後、その研究者がメーカーに就職して手書き入力の仕組みを開発し続ける、というパターンが多いらしいんですね。そういう人たちは、難しい漢字をどうやって認識するか、似た形の漢字をどう区別するか、という研究をしているんですよ。それは、ズバリ言ってしまえば、“手書き文字認識”の研究というものであって、エンドユーザー視点じゃないんです。

――たしかに、他では1文字ずつ手書きした文字を認識して入力していく、というスタイルが多いですよね。

浮川氏
 その場合は、難しい漢字もなんとか思い出しながら書かなければいけないとか、“さんずい”を書き始めたら“さんずい”を含む漢字の候補を表示して選ばせる仕組みになっていたりとか、あくまでもユーザーに漢字を書かせることが前提になっています。我々としては、漢字を書けないなら書けないでいい。分からないならひらがなで書けば楽じゃないかと。研究者視点ではなくて、いわばユーザーにとって実用できる技術を形にしたのであって、これがエンドユーザー視点というものではないでしょうか。なぜこういうのが今までなかったのかなぁと思いますよ。

新バージョンには野心的な機能が搭載

――Windows PhoneではiPhoneと同様に独自のIMEを実装できないという問題がありますが、これについてはどうお考えですか。

浮川氏
 ジャストシステム時代、30年近くに渡ってWindows向けの日本語入力システムを考えてきた我々としては、とても残念でならないですね。リリースするかどうかは未定ですが、Windows Phone 8向けにはIMEという形ではなく「7notes with mazec」として提供することになるでしょう。

――近頃は5インチ級のディスプレイを備えるスマートフォンや、7インチあるいは10インチのタブレットというのも増え始めています。大画面になるとより手書きしやすくなり、御社にとってもこの市場傾向は追い風になるのでは?

浮川氏
 そうですね、ただ少なくとも、ディスプレイが3.5インチのiPhoneでも快適に使えるようにしたい。大画面のタブレットでも、比較的小さな画面のスマートフォンでも、しっかり手書きできるように作るというのは大前提であると我々は考えています。

――「7notes with mazec」は、現在は文字入力とテキストを編集するためのツールですが、今後どのように発展していくのでしょうか。

浮川氏
 もしかするとお気づきかもしれませんが、最近は「7notes with mazec」の大きなバージョンアップをしていません。この間に何もやっていないわけではもちろんなくて、実はスタッフみんなが新しいことのために大忙しなんですよ。膨大な知識と技術の蓄積をもとにさまざまな機能を加えた、かなり野心的なものを現在開発しています。

 今や多くの人がインターネットにアクセスしてソーシャルネットワークなどを利用していますが、海外の人たちは本当によく発言したり書き込んだりするんですね。でも日本人の場合は、Twitterでも自己発信がとても少ない。自分がつぶやくのではなくて、他人をフォローして読む、いわゆる“ROM”(Read Only Member)みたいな人が多いと感じます。そういう人たちがもっと情報を発信しやすくする環境とかツールが、何かあるんじゃないか。今作っているのはそれをカバーするものです。

 おそらく日本人が日本語という言語を使い続けている限り、いつまでも日本語の文字を手で書いたり、話しているはずですよね。そういう意味では、手書き入力と音声入力というのはずっと廃れることがないだろうと思います。我々としては、100年後、200年後のことを見据えた上で、そこに続くであろう2010年代の文字入力システムを開発しているつもりです。新しい「7notes with mazec」が、まさにそれにふさわしいものになっているはずです。

――100年後、200年後は、MetaMoJiはどのようになっていると思いますか。

浮川氏
 ちょっと話がそれてしまうかもしませんが、文明は進歩しているとよく言われますけど、私が思うに、五線譜が発明されて以来、画期的な表現手法は何も進歩していないように思うんですね。音楽というものが大昔からあって、おそらくは語り継がれるような形で伝わってきたであろうものが、あるとき五線譜で表されるようになった。そうして初めて、音楽がある種の客観性をもって万人に伝えられるようになったわけです。

 ところが、たとえば飲み物の味や、自動車に乗ったときのスピード感を正確に誰かに伝えたいときは、それを言葉や文字で延々と説明することになります。それでも、誰もがその人の思っている通り、文字に表した通りに完全に理解してくれるとは限りません。こういうときに、音楽における五線譜のような、万人が共通理解を持てる表現方法というのがないんですね。コーヒーの味ならこういう表記、普通の乗用車のスピード感であればこういう表記、スポーツカーであればこういう表記、ということができない。でも、数百年後にはそれを表現できる何かが発明されている可能性だってあり得ます。

 MetaMoJiにおけるわたしの理想の一つは、そういった新しい表現方法を考えることなんです。人間が何かすることについて、それを表現する方法はきっと一杯ある。きっとあるだろうけれど、まずは自分たちの身の回りの普通のことを、普通に表現できるツールを作った上で、数百年後につながる発展性のあるものにしたい。そうなるべく、今は新しいものを準備している最中です。とにかく、「7notes with mazec」を試していただいて、もっと多くの人が手で書けることの安楽さに気づいてほしいですね。

――本日はありがとうございました。




(日沼諭史)

2012/7/19 10:00