【英国Tech Cityレポート】

ロンドンIT業界の勢いと日本のCPの将来像


 スマートフォンが急速に普及する中、iモードをはじめとするフィーチャーフォン向けにコンテンツを提供してきた日本のコンテンツプロバイダー(CP)が悲鳴を上げている。一方で、海外のサービス事業者は、スマートフォンの普及を一大チャンスと捉え、積極的に事業展開している。

 筆者は2月後半、英国・ロンドン東部に自然発生的にできあがった「Tech City」のIT関連企業を取材する機会を得た。本稿では、Tech Cityの様子を紹介するとともに、日本のCPやソリューションベンダーが目指すべき方向性を考えていきたい。

Tech City

 「Tech City」は、開発が遅れていたロンドン東部一帯のエリアを指している。開発が遅れているだけに、家賃が安いなどの理由から、ITベンチャーが自然発生的にこの一帯に根付いたとされる。

Twitter上でのTech City内のIT企業間のやりとりを解析し、地図上にプロットした「Tech City Map」

 この一帯は、今夏開催のロンドン五輪の会場としても利用される。ロンドン市と一体となって観光や留学、事業誘致をプロモーションするLONDON & PARTNERSによれば、五輪の開催に伴って整備された交通機関や設備は、Tech Cityの一部となって吸収され、さまざまな形で活用されていくことになるという。

英国貿易投資総省 Tech City Investment Organisation、Chief ExecutiveのEric van der Kleij氏

 前述のように、自然発生的に誕生したTech Cityだが、英国貿易投資総省 Tech City Investment OrganisationのChief Executiveを務めるEric van der Kleij氏によれば、英国政府としても、これを強力にサポートしていく姿勢を明確にしている。例えば、R&Dに対する投資額に対して225%を免税とする税控除制度も特徴的だ。もちろん上限はあるものの、例えば、R&Dに100ポンド使った場合、225ポンドが免税対象となる(※従業員数が500名までの中小企業の場合。大企業の場合は130%が控除される)。このほか、会社売却益への課税を緩和する制度など、起業しやすい環境を整えている。

人材育成

Ravensbourneの外観

 ロンドンの大学というとケンブリッジ大学が有名だが、より実践的な取り組みを行っているRavensbourneの活動もTech Cityでは注目されている。上記のTech City Mapの右側、テムズ川の畔にポツンと建つ、ひときわ大きなアイコンがRavensbourneだ。やや郊外に離れた立地ながらも、Tech Cityの中できわめて重要な役割を担っていることがうかがわれる。

 同校は、1960年代に美術学校として設立されたが、現在はクリエイティビティとテクノロジーの融合を目指し、学部や学科の壁を取り払い、2010年10月に完成した校舎内部も壁が無い設計を徹底。さらには校内で100社を超えるインキュベーションをサポートするなど、ビジネスとクリエイティビティが同居する場となっている。

 RavensbourneのHead of Enterprise and InnovationのChris Thompson氏によれば、同校で学ぶにはノートPCなどのモバイル機器が必要になるという。これには、機動性を高め、学生が就職したり、起業したりすれば、自身のノートPCをそのまま仕事に活かせるという利点がある。さらに、学生が割安にノートPCを購入できるようにして学生自身に機材を所有させることで、学校側の設備更新コストを抑え、その分、放送設備などのプロ向けの最新機材をそろえ、より実践的なトレーニングを行えるようにするという狙いがある。

Ravensbourne、Head of Enterprise and InnovationのChris Thompson氏壁が無い校内のレイアウト

スタートアップ支援

 また、起業支援という点では、今回、Innovation WarehouseとThe Tramperyという2つのインキュベーション施設を訪問する機会を得た。

Innovation Warehouse、Chief Executive OfficerのAmi Shpiro氏

 Innovation Warehouseには約30社が入居し、100人ほどが働いている。相場の3割と言われる1デスクにつき250ポンド/月という家賃を支払うことで、誰でも3カ月~2年はここに入居していられるが、目標を達成できなければ退去しなければならない。「一緒にいることでリスクが読める」と語るのは、Innovation WarehouseのChief Executive OfficerのAmi Shpiro氏。

 一方のThe Tramperyは、16社55人と前者の半分程度の規模ながら、アーティスティックな雰囲気が漂う。入居費は、1デスクにつき330ポンド/月。The TramperyのDirectorで、前述のTech City Mapを作ったTrampoline SystemsのCEO、Charles Armstrong氏によれば、地域としてはアートの街だが、今はソフトウェア開発会社が多くなったという。

 以前の建物は2010年末までに手狭となり、2011年5月に今の建物に移ったが4カ月で満員状態。来年には、さらに広い場所に移転する計画だという。同氏は、「現在の建物に移すとき、全ての人とコミュニケーションできる規模が重要で、意識的に50人規模にした。入居者が交流する工夫が必要で、玄関先にキッチンを設けた。次の移転先は200人規模になるが、キッチンではなくカフェを作る計画」と語る。

Trampoline Systems、CEOのCharles Armstrong氏The Tramperyの玄関先はキッチン

 最近は日本にもこうしたスタートアップ施設が多く設立されているが、入居者同士の交流を最重要課題と捉えて工夫する姿は、かなり新鮮に映った。

テクノロジーよりユーザーエクスペリエンス

 そんな環境の中で育ってきたTech CityのIT企業の特徴は、一言で言えば、テクノロジーよりもユーザーエクスペリエンスを大事にしているところだろう。米国で言えば、シリコンバレーというよりシリコンアレーに近いというか、両者が一つになったような印象だ。

 筆者はそちら方面が専門ではないので断言することはできないが、これにはロンドンという街の歴史的、文化的な背景が反映されているのだと思う。ヨーロッパは元より、世界各国から人材が集まるロンドンは、ユーザーエクスペリエンスの実験場としても適しているのだろう。

Ustwo、Business Development DirectorのJulian Ehrhardt氏

 「シリコンバレーは大きな産業団地。ここ(Tech City)では全てがミックスされている」と語るのは、ソニーやインテルといった世界的な企業に対し、ユーザーインターフェイスやユーザーエクスペリエンスのデザインを提供するUstwoのBusiness Development DirectorのJulian Ehrhardt氏。

 さらに、そこにはアップルやグーグルに代表されるシリコンバレーへの対抗意識も見え隠れする。テクノロジーを生み出すのは得意じゃないとしても、エンドユーザーの立場を理解して、IT社会の中でより重要な役割を担うことができるという確信があるようだ。Ehrhardt氏は、「日本や韓国の企業が犯すミスは、技術優先になってしまうところ」と指摘する。

日本のモバイルコンテンツ業界との対比

 こうして勢いを増すTech Cityの様子は、薄暗い日本のモバイルコンテンツ業界の雰囲気とは対照的に映る。

 おそらくそれは、スマートフォンの普及以前に、iモードをはじめとしたフィーチャーフォンの巨大なコンテンツ市場が存在した日本特有の事情なのかもしれない。フィーチャーフォンでは、キャリアが用意した課金プラットフォームを10%程度の手数料で利用でき、さらに公式メニューという強大なポータルからの導線も確保されていた。月額課金制を導入することで、言葉は悪いが、解約し忘れた会員から利用料をかすめ取ることすら黙認されていた。

 これに対し、iPhoneのApp Store、AndroidのGoogle Play Store(Android Market)でのアプリ配信の際の手数料は30%で、単価もパソコン向けのソフトウェアと比べて安い。自社サービスへの導線も自ら確保に動く必要がある。これでは以前のように“儲かるビジネスモデル”を描きづらいと考えるCPは少なくないだろう。

 しかし、Tech Cityの人々は楽観的だ。そもそも、それまでモバイルコンテンツの市場がそれほど大きくなかった海外では、比較対象が無いぶん先入観を抱かず、自由にビジネスモデルを描いているように見える。

BERG、CEOのMatt Webb氏は「デザインとテクノロジーの融合が起きているロンドン東部は“シリコンラウンドアバウト”」と表現BERGでは、ニュースや天気予報、パズルゲームなどを印刷できる「Little Printer」を2012年半ばに発売する予定

攻撃は最大の防御

 一方で、モバイルという環境の中で、どんなサービスがユーザーに受け入れられるのかというノウハウの部分については、すでにリテラシーが高いユーザーが揃った日本の市場で揉まれた日本のCP、あるいはモバイル関連のソリューションベンダーが優位なポジションに立っていると感じる。

 例えば、QRコードについては、ユーザーの間でもそれなりに認知されはじめ、街頭のポスターなどでも少しずつ確認できるようになって来ているが、おサイフケータイ(FeliCa/NFC)については、どう使うと便利なのかといったことが理解されておらず、ユーザーへの啓蒙にしばらく時間がかかりそうな雰囲気だ。

 もちろん、これらのソリューションが異国の地で普及するのか未知数なところではあるが、この分野で世界をリードしてきた日本のベンダーが活躍できるフィールドは広大だ。むしろ、普及していない市場にこそ伸び代があり、その意味で英国、ひいては欧州には大きなビジネスチャンスがあると考えるべきだろう。

 端末メーカーを含め、日本のモバイル業界関係者は、どうしてもスマートフォンの普及をネガティブに考える傾向が強い。しかし、これまでの経験を生かして活躍できる場面がそこかしこに散らばっているという事実に気づき、もっと自信を持って世界に打って出てほしい。筆者は、そうすることで世界を豊かにできると信じている。




(湯野 康隆)

2012/4/27 10:00