スタパ齋藤のコレに凝りました「コレ凝り!」
過去のスケジュールはオモロイ!
そうだ、来年からまた、紙の手帳を使ってみよう♪
2016年12月7日 06:00
毎年・年末にいつも凝るコト
毎年、年末になると必ず買うモノと言えば、ワタクシの場合は翌年用の卓上カレンダーです。ここ15年くらい毎年、同じスタイルの卓上カレンダーを購入して使っています。モノは、高橋書店の「No.E152エコカレンダー卓上[B6サイズ]」(公式ページ)です。毎年コレ。絶対コレ。
ヒッジョーに便利な卓上カレンダーです。……ホントはA5サイズが欲しいんですけど、このタイプで月曜始まりってB6サイズしかないようです。
ちなみに、スケジュールはこの卓上カレンダーとGoogleカレンダーの両方に書き込んでいます。二重化になっちゃってまして、ホントは一本化したほうがイイんですが、何かと便利なので両方を併用しています。
具体的には、まず予定がおおまかに発生したら、それを付箋に書いて卓上カレンダーに貼付。予定が確定したら、その日にち時刻などを卓上カレンダーに書き込み、さらに細かなデータを含んだ情報をGoogleカレンダーに書き込みます。卓上カレンダーに視線をやれば1カ月の予定を鳥瞰でき、予定詳細はPCやスマートフォンで確認、という感じで使っています。
さて、年末になるとこの卓上カレンダーを買い替えるわけですが、このタイミングでいつも、その一年の行動をふり返ってしまいます。振り返りつつ、一年にあったアレコレを思い出して、「そう言えばあのとき写真を撮ったなあ」「あの件って結局どう収束したんだっけ?」と考えつつ、それらを改めて確認し始めたりします。
結局、あやふやな記憶を確実なものにしたいような気分になり、写真を閲覧し、関係資料を開き、それぞれの顛末をGoogleカレンダーのメモ欄に書き込んでみたり。卓上カレンダー買い替えをきっかけとして、一年の過去スケジュールの総ざらいに凝る一日となるわけです。ときには二日にわたることも。
ともあれ、ちょいと以前のコトをふり返るのって、けっこー愉快。その点、紙にスケジュールが書いてあると、パラパラめくりつつ複数ページを並行的に見るようなこともできるので、「予定回顧」が捗っちゃいます♪
過去のスケジュールはオモロい!
過去のスケジュールは、たまに見ると「あぁこの年にはアレがあったんだ!」的にイロイロ思い出せて非常に愉快です。「うっわ、この年はサイアクのあの問題があったよな……」などと不快になることもあるわけですが、どちらにせよ「自分の過去の予定(というか行動)がリアルに記録されている」ので、何かと興味深いものです。そんなわけで、過去のカレンダー等々は捨てずに保管していて、たまぁ~に、見てオモシロがったりしております。
試しに、まだ少し前のコトではありますが、2015年の卓上カレンダーをふり返ってみましょう。だいたいの予定は何となく記憶に残っていますが、意外なのが「えっ、この月ってこんなに忙しかったの?」とか、逆に「この月は暇だったんだなぁ」ということです。具体的にカレンダーを見てみましょう。
1月はヒマですな~。毎年わりと暇な1月ではありますが、この年はとくにそうだったようです。しかも16日に軽い打合せが2本、19日に1時間かからない撮影が1本、29日は夜からの新年会でした。なお、なぜ詳しいことがわかるかと言うと、予定の詳細はGoogleカレンダーに書き込んでいるからです。
一方、3月はヒッジョーに忙しかったようです。年度末~年度替わりという時期で、毎年忙しくナリガチなんですが、この年はちょっと異常な忙しさ。なんでだろう? と関連資料を漁ってみましたが、たまたま忙しかっただけのようです。
余談ですが、日頃撮ったスナップ写真や日記や健康の記録などを、年月日で整理しておくと、「予定回顧」の便利な資料になります。「2015年の3月はヤケに忙しかったけど、ナゼ?」という場合、写真や各種記録を見ると「あ~、なーるほど!」と忙しかった理由が判明することがあるからです(今回は判明しませんでしたけど)。
てな感じで、過去のスケジュール、我ながらオモシロく見ることができます。また、第三者的に「50過ぎのあるフリーライターの日常」として見たりしてもオモシロイかもしれません。忙しいときは超忙しくて、暇なときは不安になるほどヒマ! ……フリーになりたての頃は、こういう「仕事のバラつき」が大きな不安につながったものです。現在は慣れましたけど。
さらに昔のスケジュールはさらにオモロい!
過去のスケジュールつながりで「そう言えば1990年代の手帳があったな」と思い、引き出しを漁ってみましたところ、当時のスケジュール手帳がどっさり見つかりました。パラパラッと見てみると、あらオモシロい! 若い頃はヒマなときは超ヒマだったけど、忙しいときは寝る間もないほど働いていた……ような気がしなくもないけど、ともあれ、こんなコトしてたんだなぁ~、という様子が窺えました。
オモシロいかもしれないので、その手帳のページを公開してみましょう。1992年のスケジュール手帳です。もう25年くらい前のスケジュールなので、内容的にも支障がないと思いますのでそのまま掲載してみます。
なお、ご参考までに、当時のワタクシは、編集や執筆を行うフリーランスで、ゲームやコンピュータ関連の雑誌や書籍の仕事をアレコレ掛け持ちしていました。それ以前は出版社で契約社員(いわゆる非正規雇用者)として編集・執筆をしていましたが、それを辞めてフリーになって2年目くらい、のスケジュールです。
しかしまあ、上の手帳の左右の差が凄いですね。前述の卓上カレンダーの1月と3月みたいなコントラストです。それほど仕事に波があったわけですネ! 「ネ!」じゃねえよ、それから20年以上経ってる2016年だって「仕事に波」があるじゃん>俺、などと思って一瞬焦るわけですが、もうこういうのには慣れたので「そうだね~、あっはっは」みたいな心意気です。
それにしても、過去の記録物ってのは、ナニカと興味深いです。他者が見ておもしろいかどうかはアレですが、たとえばスケジュール帳なら、それを使っていた本人と間柄が近ければ近いほど、その本人に興味があればあるほど、「へえぇぇ~」と興味深く眺められるのかもしれません。「どうせもう終わったスケジュールだし」などと捨ててしまうのは、ちょっとモッタイナイという気がしてきます。
そうだ、紙の手帳を使おう!
日々使った手帳とかやっぱりおもしれーな、とか改めて思ったわけですが、あっ最近は手帳とか全然使ってない! スケジュールの詳細はGoogleカレンダーに記録してはいるものの、手書きじゃない! とも思いました。ん~、コレ、微妙に残念かもしれなません。
というのは、やはり「手書き」というのは多かれ少なかれ、意図せずに「書き込みなどに感情が入っちゃう」からです。手書き文字を後から見ると、「急いでいる」「余裕がある」「テンションが上がっている」等々、書いている本人の気分が伝わってくるものです。コンピュータのテキストだと、多くのケースでわりと淡々として「メモ」にとどまり、後から読み返しても「当時の空気や感情」があまり読み取れません。それは、やはり、少々、モッタイナイな、と。
そこで、紙の手帳を再度使い始めようかな、と思いました。ちょうど万年筆を始めとする筆記具にハマっている時期でもあり、「漢字の復習」(関連記事)もしているし、そうだ手書きだ手帳とかに手書きしてゆきたいッ! と思ったわけです。
というわけで、年も押し迫った現在、来年から使い始める「紙の手帳」「紙のスケジュール帳」を物色中です。Googleカレンダーとかメールとかクラウドなどは相変わらず使うわけですが、平行して紙の記録媒体を「近未来に回顧したときのオモシロ・コンテンツ」としても意識しつつ使って行く予定です。
で、既にアレコレと手帳類を買いまして、また実際に試用していくと「コレはナイ」「コレはイケる」など、いろいろ発見もありました。そのあたり引き続き研究しまして、結果は追い追いご紹介したいと思います。それでは、良いお年をお迎……あっ、まだそこまで年の瀬じゃないですので、年内、引き続きよろしくお願いいたします。