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圏内になってインスタ映えを狙えるようになった尾瀬

 携帯電話はつながって当たり前――そんな日常の感覚も、山中に足を踏み入れると、“圏外”の表示とともに、つながらない不安に変化する。あらゆる場所を“圏内”に変えていくのは携帯電話事業者の役目だが、場所によっては鉄塔などの設備の建設がNGとされ、頭を抱える場面もあるという。

 例えば国立公園は、自然環境の保護や景観といった観点から、その場に鉄塔を建てることが難しい。一方で、負傷者が出るなどした場合を想定すると、通信環境を整備することが重要となる。

 さまざまな課題に直面しながらも、少しでも圏外を無くそうと努力する携帯電話事業者の取り組みについて、年間30万人の観光客が訪れるという尾瀬国立公園のエリア化を進めるKDDIの例をご紹介する。

手つかずの自然が魅力の尾瀬国立公園

国立公園ならではの困難に直面

 同社では、2017年9月から同エリアの整備に着手し、2018年7月に20カ所ある山小屋の建物内で4G LTEによる通信が行えるようにしている。あわせてau以外のユーザーも無料で利用できるWi-Fiスポット「OZE GREEN Wi-Fi」も17の山小屋で提供している。

エリア化されたことをアピールするステッカーとポスター
中央のau端末は圏内、左のドコモ端末、右のソフトバンク端末は圏外

 KDDI 技術統括本部 エリア品質強化室 グループリーダーの渡辺康史氏によると、年間30万人の観光客が訪れる尾瀬のエリア化は同社としての悲願だったという。ただ、実際にエリア化しようとすると、各山小屋には電力は供給されていたが、国立公園内ということで新たな建造物の設置は大きく制限されているため、環境省や群馬、福島、新潟、栃木の地元自治体をいかに口説くかが最初の課題となった。

 そこで同社では、山小屋などの建物内の電波対策に限定することで関係者の合意を得た。地元自治体の一つである片品村 むらづくり観光課 課長の桑原信一氏は、「登山者の利便性向上や緊急時における携帯電話の有効性に加え、マナー啓発の面でも今回の取り組みに期待している」と語る。

(左から)KDDI 技術統括本部 エリア品質強化室 グループリーダーの渡辺康史氏、片品村 むらづくり観光課 課長の桑原信一氏、東京パワーテクノロジー 環境事業部 尾瀬林業事業部 事業所長の小暮義隆氏

大量の通信機材をどう運ぶか

ヘリコプターでの機材搬入の様子(KDDI提供)

 こうして関係者の同意を得たKDDIだが、次なる課題となったのは通信機材の搬入だ。山小屋が建ち並ぶエリアへのルートは、人がどうにかすれ違える木道のみ。片道1時間の行程で、20カ所の山小屋それぞれに機材を設置するとなると、その数もかなりの量になるため、人力で運搬するのは非現実的だ。

 そこで、同社ではヘリコプターで数回に分けて機材を運ぶことにした。渡辺氏によれば、ヘリコプターでの輸送は天候の影響を受けやすく、受け入れる山小屋側の混雑状況次第で工事日程の変更も必要になるため、その調整も難しかったのだとか。

 運び込まれた機材についても、なるべく目立たないように設置する必要がある。衛星通信用のパラボラアンテナは仕方ないとして、それ以外の機材は山小屋内の床下や天井裏など、なるべく人目につかない場所に設置した。

 また、当初は衛星通信により運用していたが、今年度からは電力線と同じ経路で光ファイバーの敷設が始まっており、一部の山小屋ではすでに伝送路の置き換えが完了している。光回線を使用できる山小屋では衛星回線よりも快適に通信できるようになっているほか、パラボラアンテナの撤去が予定されており、景観面でも理想に近づく。

衛星通信用のパラボラアンテナ
至仏山荘(山小屋)では床下に通信機材を設置
屋内アンテナの多くは屋根裏に設置されているが、一部は見える場所にも

インスタ映えで尾瀬の魅力アップ、従業員のストレスも軽減

「OZE GREEN Wi-Fi」は他キャリアのユーザーも無料で利用できる

 渡辺氏によると、5月の山開きから7月末までに延べ5万人がこうして整備されたネットワーク(Wi-Fiスポットを含む)を利用したという。

 尾瀬地域で山小屋を運営する東京パワーテクノロジー 環境事業部 尾瀬林業事業部 事業所長の小暮義隆氏は、「花の見ごろをリアルタイムに発信できるなど、山荘運営側もお客様側も利便性が向上している。昨今は熱中症やゲリラ豪雨などの心配もあり、お客様の安全確保にも役立っている」と語る。

 環境保全の面でも、2017年からWi-Fiスポットサービスで接続時に尾瀬のルールやマナーを表示してきたが、今年はさらにポスター掲示やチラシ配布、YAMAPとの協業により、啓発に取り組んできている。

 さらに、快適に通信できるようになったことで、身内や友人との距離が縮まり、不安感が無くなり、従業員のストレス軽減にもつながっているという。山小屋の雇用促進の面でも効果が期待できそうだ。

 小暮氏によれば、“滞在型の尾瀬”を実現することが次の課題なのだとか。年間30万人が訪れるといっても、山小屋に宿泊するのはごく一部。宿泊者が増えれば、そのぶん山小屋が潤い、宿泊者が整備された通信環境を使って尾瀬の魅力を外部に発信することで、さらなる好循環が期待できる。

 この点については、桑原氏も「かつては山小屋は全部排除すればいいという話もあったが、今の尾瀬を守るには山小屋の役割が非常に大きい。山小屋にお客様に滞在していただき、山小屋の経営が成り立つようにしていかなければいけない」と同意する。

ポスターには通信できる場所とともに尾瀬のルールやマナーも記載されている
至仏山荘の相部屋
至仏山荘の個室

料金を4割下げても年間5000億円の設備投資は維持できる?

 ちなみに、官房長官に料金を4割下げられる余地があると言われてしまった携帯電話事業者。料金を下げ、収益が減って設備投資に回せるお金が無くなってしまうと、尾瀬のような特殊な場所のエリア化は難しくなってしまうかもしれない。

 これについて渡辺氏は、「我々は年間5000億円規模で設備投資している。お客様のニーズに応えていかないと会社としての価値が上がらない。4Gはもちろん、IoTや5Gなどにも継続的に投資していく」と述べ、引き続きエリア対策に注力するとしている。

屋外のエリア化には慎重

 尾瀬では、ひとまず山小屋の建物内に限定する形でエリア化を実現したKDDIだが、そうなると屋外でもスマートフォンを利用したいと思うのがユーザー心理だろう。

 これについては、「環境保全の面では国立公園内に鉄塔を建てるのはかなり難しいし、鉄塔を建てて尾瀬の景観を損ねてまでエリア化したいとは思っていない。可能性はゼロではないが、関係者と意識をすり合わせながら、落としどころを探っていくことになる」(渡辺氏)と慎重だ。

 実際、尾瀬一帯をエリア化した際に心配になるのは“歩きスマホ”。今でも木道を踏み外して怪我をする人が絶えないという状況下で、歩きスマホができてしまう環境を整えることには不安がつきまとう。そのためにも、まずはマナー向上の啓発ということだろう。

 それでも山小屋をエリア化したことで、電子決済の導入に道が開けたり、観光動態分析が可能になったり、副次的な効果も期待できるようになった。数年後には変わらぬ自然と近未来が同居する尾瀬の姿が見られるのかもしれない。