ケータイの母
ITUの公表資料「The World in 2011: ICT Facts and Figures」によると、いま固定・モバイルのブロードバンド普及率競争は、地域別では欧州が先頭を走っている。
固定・モバイルブロードバンド普及率(契約数見合い) 【出典】ITU「The World in 2011: ICT Facts and Figures」 |
さらにダボス会議で有名な世界経済フォーラム(World Economic Forum: WEF)が発表した「The Global Information Technology Report 2010-2011」のICT競争力ランキングを見ると、北欧5カ国(スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)すべてが20位以内に入っている。
総務省のICT 基盤に関する国際比較調査(2011)でも、固定ネット普及度やモバイル環境普及度を勘案したICT基盤(普及)総合で、第1位から第4位までを北欧諸国が独占している。
ICT基盤(普及)総合 【出典】総務省「平成23年版 情報通信白書」 |
いつからこのように北欧が強くなったのか。
北欧5カ国を合わせた面積は、日本の3倍以上あるが、人口は日本の2割程度と人口密度はかなり低く、市場としては決して大きいわけではない。そんな、北欧が欧州域内で通信技術・サービスでイニシアティブを発揮し、全世界をリードしている。
だいぶ前から、北欧には、社会福祉政策とITに強いイメージがあったが、恥ずかしながらどうしてこんなに北欧が強くなったのかそのルーツを知らずにいた。
そんなある時、スウェーデンの国有通信企業TeliaSoneraと、同じくスウェーデンの通信機器メーカーEricssonが共同で「NMT 30 YEARS」という特設HPを開設していることを知った。Topページは、「先見の明のある人たち、開拓者によって創られた30年間のサクセスストーリー」というタイトルで始まっていた。そこでは、通信コンサルタントでジャーナリストのSvenolof Karlsson氏の「The Pioneers」という著書も紹介している。
これらによると、30年前の1981年、北欧諸国が開発した第一世代携帯電話の「NMT(Nordic Mobile Telephony)」が一般向けにサービス開始されたそうだ。このNMTというのは、全世界のモバイル通信の80%を占め、欧州発の世界規格となったGSMのベースとなった。この特設HPでは、NMTを「GSMの母」「携帯電話の母」と呼び、北欧の有志たちが成し遂げた偉業を回顧している。
NMTは、1969年にノルウェーで開かれたスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドの北欧5カ国のPTT(電気通信監督官庁で通信事業も運営)が結集した1回目の北欧会議から始まった。スウェーデンやフィンランドが携帯電話で世界のリーダーとなるまでの基礎も、この北欧会議で創られたというのである。NMTは、北欧諸国間で携帯電話が利用できるよう互換性とローミングなどを開発の要件としていたが、このオープン性が欧州統一方式の決め手となり、後のGSMをグローバルスタンダードにのし上げる原動力となった。
このような携帯電話方式が早い段階で北欧に芽生えたのも、北欧という小さなマーケット、フィヨルドや無数の島々を持つ特徴的な風土が後押ししていたのかもしれないが、北欧諸国特有の強い繋がりのようなものを感じる。
NMTの成功後、世界的な規制緩和・自由化の流れによって、北欧の国有PTTはそれぞれ一企業として独り立ちすることになる。スウェーデンの国有通信会社Televerketはテリア、フィンランドの国有通信会社テレフィンランドはソネラとして、互いに競争しあう立場に変わるのだが、最終的に彼らは「テリアソネラ」となることを選んだ。世界で初めての旧国営独占通信企業同士の国境を越えた合併で、当初はノルウェーの通信会社テレノールを含めた合併も計画されていたそうだ。
ところで、スウェーデンが世界初のNMTサービスをスタートさせる予定であったが、実際一番初めにNMTのベルを鳴らしたのは、北欧のどの国でもなく、北欧から遠く離れた異国のサウジアラビアである。土壇場になって、サウジアラビアがEricssonとの契約を締結したため、スウェーデンより1カ月早く、世界最先端の技術を享受することになった。
NMTは、GSMにはない人口のまばらな地域や、周辺水域をもカバーする能力があったため、長く使われ続けた。スウェーデンでは、2007年12月に、アイスランドでは、2010年9月にサービスを終了し、その役割を終えている。
【お詫びと訂正】
初出時、2番目と3番目の図表の掲載位置が反対になっておりました。お詫びして訂正いたします。
2012/1/12 12:16