ワシントン・ダレス国際空港での事件

 KDDI総研 泉健太郎
KDDI総研 調査1部長。海外の通信市場や制度・政策の調査研究を担当。10年前は、日本製のケータイなら遠くからでもほぼすべての機種を判別できたが、最近はiPhone 5sと5cを見分けるのがやっと。


 久しぶりのワシントンD.C.。高校生の時に映画「大統領の陰謀」を観て以来、アメリカ政治マニアとなった私にとって、ワシントンは憧れの街であった。「あった」と過去形なのは、その後、アメリカに住んでいた時を含めて何度となく仕事と観光で訪れたので、昔ほどの感激はなくなってしまったからである。それでも、5年ぶりに降り立つと、初めてホワイトハウスや国会議事堂の中を見学した時のことを思い出した。

 NH(全日空)002便にてワシントン・ダレス国際空港に到着。例によって、入国審査は長蛇の列で、1時間待ってようやく通過。既にターンテーブルから降ろされていた荷物をピックアップして、税関に向かおうとしたその時、事件は起きた。

 荷物を抱えながら税関に向かっていた大勢の人々が、一斉にこちらに逆戻りしてくるのである。そして遠くからは「STEP BACK!(下がって!)」の声が。一同わけが分からず、再びバゲッジ・クレームのところまで戻り、騒然としていると、「未確認の液体(unidentified liquid)が税関付近にこぼれているので、しばらくその場でお待ち下さい」とのアナウンスが。

 「液体がこぼれてる?!」
 「それってテロ?」

 9・11の十周年が数日前だったことを思い出し、不安な気持ちを抑えながらひたすら待つ。でも、時々流れる「しばらくお待ち下さい」のアナウンス以外、情報がまったくない。

 その時ふと気付く。ケータイがあるじゃないか。

 そもそもこの場所でケータイを使っていいものなのか(そういえば、携帯電話に×がつけられた表示を見たような記憶が……)、心配になったものの、非常事態だと思い、ワシントン駐在のS君に電話してみる。ところがつながらない。みんなが使っているからなのか、もともと電波状況が悪いのか、何度やってもダメである。ケータイのアンテナ表示を見ても、ゼロから1本の間を行ったり来たりしている。

 何度目かにようやく呼び出し音が鳴り、ガッツポーズをしながら待つも、ボイスメールにつながってしまう。うーん、困ったなと思案していると、またひらめいた。Wi-Fiがあるではないか。

 ところが、我がスマートフォンでWi-Fiを検索してみても、まったく引っかからない。Wi-Fiでネットに接続して、CNNのサイトでも見ようという目論見も失敗に終わる。

 周りを見渡すと、ざっと300人が足止めされているのだが、気の毒なことに大半が立ったまま。実は、かく言う私は、これは長期戦になると直感し、わずかしかない椅子をめざとく確保していたのである。

 横を見ると、東欧系と思しき男性と目が合う。ひどく訛った英語で「ターミナルって映画知ってっか?」(意訳)と話しかけてくる。「ターミナル? ああ、トム・ハンクスのね」と私。アメリカに入国できず、やむなく空港で生活を始めた男の話である。

 「ワシらもトム・ハンクスみたいになっちまうのなか?」とか言うので、何か気の利いた返事でもと思ったのだが思いつかず、「でもレストランがないからなぁ」と言ったところ、なぜか大笑いしてくれた。そう、ここには荷物を運んでくるターンテーブルと、若干の椅子、そしてトイレ以外何もないのである。

 それから2時間ほどした頃だろうか、何のアナウンスもないのに、突然みんなが荷物を持って動き出したので、私もこれに続くと、正規の出口ではない、なんと税関のオフィスを通って、ようやく外に出ることができた。

 ホテルに着いて荷物を整理していると、ケータイに着信が。S君である。「へぇ、そんなことがあったんですか。」

 ニュースになっているに違いないと、夜のテレビのローカルニュースや、翌日のワシントンポストを見てみるも、何も報道されていない。きっとこの程度のテロ騒動は、日常茶飯事なんだろうなと思うと、複雑な気持ちになる。

 ちなみに今回の出張は、アメリカの通信政策の学会に参加するためであったのだが、最初に聴講することになった発表が「Emergency Response Technology Policy(緊急時通信技術に関する政策について)」だったのは偶然だろうか……。

2011/10/26 10:00