ニュース
合掌造りで有名な白川村とKDDIがタッグ、地域活性化で協定
(2015/2/24 16:07)
白川村は合掌造りと呼ばれる特徴的な屋根を持つ家屋の集落、白川郷を有する、岐阜県北端にある山村。白川郷は世界遺産にも登録されていて、国内外から多数の観光客が訪れている。
2月23日、KDDIは岐阜県大野郡の白川村と「白川村地域活性化を目的とした連携に関する協定書」を締結した。
協定ではそうした観光客向けのインフラ整備と白川郷の居住者を対象とした地域活性化の両面でKDDIが白川村に協力する。また今回の協定では、白川村地域おこし協力隊が企画推進などで協力している。
地域おこし協力隊は、地方自治体が地域活性化のために地域外の人材を公募する制度で、総務省が2009年より運用している。白川村では現在、3名の地域おこし協力隊が活動しているが、今回の協定では官民のあいだに立ち、仲介役として重要な役割を果たしているという。
今回の協定で民間企業と地方自治体が協力関係を結ぶことについて、白川村の成原茂村長は、「白川村のそれぞれの地域の資源を活用するきっかけになる。こうした取り組みは、完成して満足すると書棚に入れられて終わってしまうが、今回の連携については、いろいろなことを実践的にできると思っている」と語った。
KDDIの中部総支社長 兼 北陸総支社長 理事の吉満雅文氏は、「観光客が電波を利用するというのはわかりやすいところで、われわれとしても世界遺産でつながりやすいとアピールできるなど、営業的なメリットもある。その一方で地域活性化により、村民や次世代を担う子どもたちにもメリットがある。費用対効果は説明しにくいが、企業としての社会的な責任、いわゆるCSR活動でもある」と語る。
合掌造り型の基地局
協定締結以前からKDDIは白川村と協力し、さまざまな取り組みを白川村で行っている。まず基本となる部分として、白川村周辺でauのサービスエリアを拡充。基地局は新設されていないが、アンテナを新たに設置したり、調整したりしたことで、これまでは繋がりにくかったエリアで品質が改善、繋がりやすくなったという。
その代表的な例が、白川村から西に伸びる白川スーパー林道付近にある合掌造り型基地局だ。もともと集落から離れた位置にある基地局だが、今回の取り組みではアンテナを増設し、集落のない林道方向のエリアが強化されている。
住居のないエリアなので、人口カバー率には影響しないが、たとえば車で移動中の観光客が情報を調べたり、SNSに投稿したりするニーズに応えたりできる。もともと村内の集落付近はエリア化されていたが、KDDIではそれ以外の場所のエリア化を強化してきたのだという。
KDDIの吉満氏は「通信会社としては電波整備するときは、通常はマクロな人口カバー率が先行する。しかしそれだけではなく、観光地や導線といった、人が住んでいなくても、人が集まるところをエリア化している」と説明する。
エリアカバーの拡充は防災面にも貢献する。たとえば行方不明者の捜索で消防団が山に入るときや天候不順でキャンプ場や集落が孤立したとき、数に限りのある無線機や衛星電話に頼ることなく、消防団員や遭難者自身が持つ携帯電話を利用でき、連絡の効率を格段に向上させられる。一般生活も含め住民への影響は大きく、村長は家族全員でauに買い替えたほか、消防団にもauに買い替えた団員がいるという。
観光客向けの活動としては、auスマートパスを使った情報発信も行なっていて、現在はスキー場や入浴施設の割引クーポンを配信している。
海外からの観光客向けには、KDDIグループのワイヤ・アンド・ワイヤレス(Wi2)が提供するスマートフォン向けアプリ「TRAVEL JAPAN Wi-Fi」を使った情報発信を行なっている。このアプリでは同社のWi-Fiスポットへの無償接続機能が利用できるほか、近隣の観光情報の配信を受けることもできる。
こうした観光客向けの取り組みに加え、村内のコミュニティスペースへのスマートフォンやタブレットの無償提供、村内の小中一貫校へのICT支援、住民向けのケータイ教室の実施など、住民向けの支援もKDDIは実施している。。また、KDDIの社会貢献サイト「キボウのカケハシ」の寄付支援対象に白川村を加え、白川村の環境保全に協力している。
今回の協定はこうした取り組みを継続・発展させていくものとなる。協定には最低1年間という期限が設けられているが、とくに廃止を申し出ない限り、自動で更新されていく内容となっている。
また、協定は排他的なものではなく、白川村がほかの携帯電話事業者と協定を結ぶ可能性を排除するものではないという。KDDIとまず提携した理由について、白川村地域おこし協力隊の大倉曉氏は、「長年の課題だった通話品質の改善など、他社を含めて相談していた中で、積極的に検討してもらい、最初に実行したのがKDDIだった」と説明していた。