キーパーソン・インタビュー
ノキアのワイヤレスモデム部門買収、ルネサスに聞く今後の戦略
7月6日、ルネサス エレクトロニクスが「ノキアからワイヤレスモデム部門を買収する」と発表した。これまでアプリケーションプロセッサなどを提供してきたルネサスにとって、通信部分のチップを供給できる体制が整うことになるこの取引が持つ意義、与える影響について、ルネサスの経営企画統括部エグゼクティブの川崎郁也氏に聞いた。
■ノキアから買収したワイヤレスモデム事業とは
ルネサスが今回、ノキアから買収した部門は、携帯電話などにおいて“通信”そのものを司るハードウェア、ソフトウェアを手がけてきた。GSMやHSPA+、LTEと第2世代の通信技術から次世代の技術まで、モデムに関わる特許、世界各地の200社以上オペレーターとの接続検証実績、1100人におよぶ開発人員、3GPP標準化活動におけるリーダーシップを、ルネサスは手にすることになる。
ルネサスでは、今後世界各国でHSPA+方式やLTE方式の採用が進むことにあわせ、標準プラットフォームを構築し、端末メーカーへ提供。現在の売上高は1000億円だが、2012年度にはその2倍に、2013年には投資資金の回収を達成し、2015年には4倍の売上高を見込んでいる。
■買収の背景、経緯について
――携帯電話向けにアプリケーションプロセッサを提供し、NTTドコモと端末プラットフォームを共同開発してきたルネサスですが、今回のワイヤレスモデム部門買収の背景から教えてください。
ルネサスの川崎氏 |
川崎氏
携帯電話の作り方を見てみると、水平分業化の加速で、時代が移り変わってきているところです。たとえばノキアさんは、携帯電話のハードウェア部分から、OSまで手がけていましたが、水平分業化により部品が共通化され、AndroidのようにOSまで共通化されていくと、携帯電話メーカーの役割が変化してきているのです。そのメーカー独自機能の実装や端末デザイン、ユーザーインターフェイスの設計に特化してきているということです。
つまり、かつて半導体メーカーは部品だけ提供していたのですが、徐々に手がける領域が拡大し、チップセットとモデム、マルチメディアの処理技術、それらのハードウェアを制御するソフトウェアを1つにまとめた“モバイルプラットフォーム”が求められるようになってきています。この分野はルネサスにとって成長事業の1つと位置付けています。
――なるほど。
川崎氏
ルネサスはアプリケーションプロセッサで世界1位、RF IC(無線通信の信号処理デバイス)では世界トップ5に入っていますが、“モバイルプラットフォーム”の一角を占めるモデム技術について、今回、世界市場シェアの35%を占めている業界1位のノキアが保有していたハードウェア、ソフトウェアを取得しました。
これからは、HSPA+方式やLTE方式が導入されることで通信速度が高速化し、クラウドサービスを無線通信経由で利用するといったことが本格化すると見ています。これまでは携帯電話が中心でしたが、パソコン、ネットブックといった機器に加え、デジタルカメラや自動車といったものまで無線でネットワークへ繋がるでしょう。さらにスマートフォンでも高速通信の恩恵が期待できます。
ところがHSPA+方式やLTE方式といった技術を自社で開発するのは難しい。世の中に、数多くのベースバンドメーカーは存在しますが、ほとんどがローエンド(2G~3.5G)で戦っています。LTE商用化で先行しているのは、当社の見立てでは、クアルコム、STエリクソン、そしてノキアの3社でした。
そのノキアの技術力、そして当社のアプリケーションプロセッサ技術の組み合わせは、カメラやゲーム機、自動車といったデジタルコンシューマデバイスに対して競争力があると見ており、グローバルでのトップシェアを目指していくと。
――買収のきっかけ、経緯は?
川崎氏
当社とノキアさんは、パワーアンプのビジネスから10年以上のお付き合いがあります。また、今回買収したワイヤレスモデムについては、LTEのライセンス供与を受けて商品開発を行ってきました。これは来年商品化する予定ですが、そうした協力関係の中で、技術的な議論をノキア側の開発部隊と一緒にやる、といった環境はできていたわけです。その中で、先述したように携帯電話の作り方が変化していく時代ですから、ノキアさん自体もサービスやアプリケーションを中心とする形へ変化していくことになったのでしょう。当社にとってもモバイルプラットフォームを構築する上で、ノキアさんのワイヤレスモデム事業は補完関係にあるとわかってきましたから、そこで話を進めることになりました。と言っても、買収についての検討に入ったのは今年になってからですね。
――ルネサスとしては、これまでモデム技術を外部から調達するしかなかったのでしょうか。NTTドコモとプラットフォーム開発を行っていますが……。
川崎氏
確かにそのプラットフォームにはモデム技術がありますが、それはドコモさんや端末メーカーさんとのコンソーシアムとして開発しているもので、ルネサス自体が技術を保有しているわけではありません。そのモデムは国内ネットワークへの接続は100%サポートされていますが、FOMA中心に利用されています。海外のことを考えると、ノキアのモデム技術は、世界各国のオペレーターにおいて、接続試験を行っています。国ごとに方式が違って、使われているベースバンドの機種、構成も異なる。それぞれに癖があって、バグが存在することもあります。基本的にはプロトコルスタックというソフトウェアで、そうした癖、バグを吸収します。
買収したモデム事業を加えて、モバイルプラットフォームの構築を目指す |
――ノウハウの塊、というわけですね。
川崎氏
それを3カ月か6カ月に一度、世界中を回ってテストを重ねているわけです。もし標準化された規格通りにLTEのモデムを作ったとしても、そのまま接続できるとは限りません。積み重ねてきたものが財産なのです。
――買収した内容をあらためて教えていただきたいのですが、たとえばGSM方式の特許も含まれるのでしょうか。
川崎氏
ノキアのワイヤレスモデムの部隊が作り上げた成果物と人員全てがそのまま譲渡、ということですね。ただ特許については、その一部は譲渡されていません。モデムだけに関わる特許は譲渡されていますが、モデムとその他の部分に関わる特許は譲渡されたわけではありません。
――ノウハウと人員が2億ドル、というのは、巨額ではありますが、そのノウハウを考えると安価にも思えます。どう評価されているのでしょうか。
川崎氏
業界関係者からは「リーズナブルだね」と評価いただいていますね。この業界以外の方からすると巨額だとは思いますが。
――取得した特許から、ルネサスの業績に影響を与えるような収益はあるのでしょうか。
川崎氏
いえ、メーカー同士で特許プール(複数企業が互いの特許を使いあう)を設けていますから、影響はないですね。ルネサスとしては、チップセットを販売して商売する、ということが基本です。
■ルネサスを取り巻く環境について
――総務省で開催される有識者会合などでは、国内端末メーカーさんに対して海外進出を促す声がたびたび出ています。今回の買収は、国内メーカーが海外へ進出しやすくなる面はあるのでしょうか。
川崎氏
そういったことは、期待しています。ただ、我々は日本メーカーだけに期待しているのではありません。どちらかと言えば海外メーカーへ期待しているところもあります。
――ノキア・シーメンスがモトローラのネットワーク事業を買収すると発表しました。ノキア中心で見ると、「ノキア再編」という図式に見えますね。
川崎氏
基地局部門の買収、というお話ですよね。私自身はノキアさんの全体像を存じ上げませんが、発表文を読む限り、ノキアさんは携帯電話メーカーとして電話はもちろんのこと、その上のレイヤーにあたるサービスやアプリケーションといった部分と、インフラ/ネットワーク系へシフトしていくように見えます。そこへフォーカスするため、モデムのような部品のレイヤーは手放したのかもしれないですね。
――ルネサスが買収した事業は、端末側に搭載する部分ですが、基地局はその通信相手ですから、重要な要素ですよね。こうした部分にルネサスとして関心はないのでしょうか。
川崎氏
ルネサスにとって、基地局ビジネスにやるつもりはありませんが、(端末と基地局が)密に関係していることは確かです。ノキアさんの部隊と一緒に検証を続けていこうという話も含まれているのです。ノキアさんの携帯電話は世界シェアトップですが、世界中のオペレーターは「ノキアの携帯は使える」と保証したがる。いわばWIN-WINの関係ですので、買収後も、そうした関係は継続していかなければいけません。そういう意味で、基地局メーカーとの協力は互いに必要になりますね。
――NECや日立といった国内メーカーの基地局事業と密になることで、「日の丸ケータイの世界展開」といった考え方をしてしまうこともあります。
川崎氏
なるほど(笑)。ただ、水平分業化が進んでいるということで、我々にとってはチップセットを世界中に売るのが一番重要です。どこかの基地局に絞る、ということは考えていませんね。先行的にどこかと組んで、事業を立ち上げることはあるかもしれませんし、その相手がたとえばNECや日立、ということなら最高かもしれませんね。
――ハンドセットメーカーからすると、プラットフォームとしてリファレンスモデルが出てくると、開発しやすくなりますね。業界全体でそうしたニーズに向けて、Android以前からOSなどの共通化は図られてきましたが……。
川崎氏
そうですね。有名どころでは台湾のMediaTekさんですよね。完成したリファレンスデザインを提供して、端末メーカーはユーザーインターフェイスだけ作り込む、といったレベルになっている。中国メーカーなどでは相当、MediaTekがシェアを占めていると思います。クアルコムさんもそうした領域に入ってきています。最近ではスマートフォンが登場して、Androidのようなソフトウェアプラットフォームが登場してきています。そうした端末のチップセットはクアルコムさんの製品を使って……という形で、まるでパソコンのようにスマートフォンを組み上げるという動きがあります。
――クアルコムはBMP(Brew Mobile Platform)とセットで、エリクソンは基地局ビジネスともに、といったような展開が見受けられます。ルネサスは今回の買収で他社に対抗できる力を備えた、と考えていいのでしょうか。
川崎氏
クアルコムさんやSTエリクソンさんと比較すると、ルネサスはマイコンやコンシューマエレクトロニクスが強いというところが違いになると思います。Androidが携帯以外の機器にも採用されるようになってきていますが、さまざまな機器で通信機能が搭載されるようになると、ルネサスの強みが活きてくると思います。もちろん他社さんも準備されているでしょうが、あくまでベースバンドから出てきていて、違う土俵で戦えると思っています。HSPA+、LTEの時代になって、さまざまな機器で通信が求められるようになれば、ルネサスの活躍できる土俵が広がります。
――最近あまり見かけなくなった“ユビキタス”という言葉ですが、まさにそれが実現する時代に向けて、ということですか。
ノキアからの事業買収で次世代通信規格への意気込みを語る川崎氏 |
川崎氏
LTEでは数十Mbpsが実現できますから、有線通信と遜色ないでしょうね。クラウド化が進展して、セキュリティもサーバーのほうがクライアント端末より高いということになると、ネットワーク機器の利用が促進される。そうしたとき、 “モデムプラスアルファ”は、他社にとっては難しい部分だと思います。
――LTEやHSPA+といった技術の商用化で先行しているのは3社、とのことでしたが……。
川崎氏
先行している企業とそうでない企業の間にある障壁となっているのは、膨大な開発費、でしょうか。先述したように、多くのノウハウの蓄積が必要ですよね。もちろんMediaTekさんやブロードコムさん、インフィニオンさんらもいずれ競合になってくるでしょうが……。
――時間軸で見ると、どの程度のアドバンテージがあると見ていますか?
川崎氏
そうですね……だいたい3年でしょうか。
――それだけのアドバンテージがあると。ただ、中国メーカーの中でもLTE事業に自信を見せている企業は存在します。
川崎氏
他社のことはわかりませんが、多くは基地局のことだと思いますね。端末側のモデムは、外部から調達されているでしょう。
――外部から調達できるものを、自社で技術を保有することのメリットとは何でしょうか。
川崎氏
いろんな点があると思いますが、一番は「自社製品ではなければ、お客さんから信用されない」ということではないでしょうか。端末メーカーさんは単にチップがあればいいというのではなく、各オペレーターのネットワークとの接続性の保証を求めます。ライセンス提供でのチップですと、そこまで保証できませんし、将来登場する技術についてもサポートできません。技術を保有しているライセンサーが「LTE対応チップを作る」といくら言っていても、外部調達する立場であればコントロールできない話です。ましてやLTEの次の技術、という将来についてはコミットできません。そこは自社技術と外部調達で大きな違いがあると思います。
――今日のお話では、買収の大きな目的はHSPA+、LTEという次世代方式に向けた取り組みという印象ですが、やはりLTEが世界各国のオペレーターに採用される方針というのは、買収の後押しになったのでしょうか。また、GSM方式が拡充する新興国市場はどう見ているのでしょうか。
川崎氏
後押しにはなりましたね。それから新興国市場は、先述したMediaTekさんやインフィニオンさんといったところが強いのです。チップセットの価格も1つ2ドルといった世界ですから。今回はすぐに手を出すという話ではありません。技術的には、そのあたりを切り離せばできるでしょうが、まずはHSPA+方式、LTE方式の立ち上げを狙っています。
――日本だけ先行、という流れではなく、他国のオペレーターも同時期にLTE方式へ移行するというのは、ありがたい流れと言えそうですね。
川崎氏
そうですね。そこでポイントとなるのがHSPA+方式への対応をうたっている点です。世界の主要オペレーターはLTEへの移行を表明していますが、それまでにHSPA+方式を経るという段階的な移行を進めるところもあれば、都市部でLTE、その他はHSPA+、というところもありますから。
――さまざまな機器に通信機能が搭載される、という予測がある一方で、1つのルーターを携帯することで通信回線は1つに集約されるという見方もありますが、どう見ていますか。
川崎氏
それはもちろん、通信機能対応機器が増加することに期待していますが(笑)「M2M(機器間)通信」も増えてくると思っています。マシン同士の通信という用途はある程度期待できるのではないでしょうか。
――さまざまな機器への通信機能の搭載を促進するため、何らかの取り組みを行う、という考えはないのでしょうか。たとえばクアルコムは医療分野と通信との組み合わせを提案するといったことを行っていますが。
川崎氏
そうした提案は行っていきたいですね。せっかくモデム事業を買収したのですから。ただ、ルネサスがゲーム機を作る、といったことはないですよね。
――なるほど。今日はありがとうございました。
2010/7/27 06:00