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ソフトバンクが買収することになったボーダフォンの日本法人。同社は、2003年10月にそれまでのJ-フォンから社名をボーダフォンに変更し、サービスを展開してきた。
ボーダフォンの前身となるJ-フォンは、旧国鉄など鉄道系の大手通信事業者である日本テレコムが中心となって設立された、9つの携帯電話事業者が母体となる。東京デジタルホン、関西デジタルホン、東海デジタルホン、デジタルツーカー九州/中国/四国/北陸/東北/北海道の各地域会社は、社名やブランド名の変更の末、「J-フォン」となった。当時のイメージキャラクターには藤原紀香などが起用されていた。
2001年2月、英ボーダフォンは、米AT&Tから日本テレコムの株式を取得し、筆頭株主になると発表。Vodafone Group Plcは、2001年10月に日本テレコム株式の公開買付けを完了し、日本テレコムとその子会社のJ-フォンの経営権を握ることで、日本の携帯電話市場に歩を進めていくことになる。
2001年11月、J-フォンは地域会社を統合し1社体制となる。2002年には、親会社の日本テレコムが日本テレコムホールディングスに社名変更し、固定通信部門の日本テレコムと、携帯電話部門のJ-フォンでサービスを展開。だが、2003年8月、日本テレコムは米投米資会社リップルウッドに売却されることが発表された。同社はその後、ソフトバンクが買い取ることになるが、今回のボーダフォンの買収によって、日本テレコムは再びボーダフォンと同じ親会社となる。
携帯電話事業では、2003年10月1日にブランド名と社名を、「J-フォン」からボーダフォンに変更。J-フォンのメールやインターネットサービス「J-スカイ」も、「ボーダフォンライブ!」へと変更された。2004年夏には、NTTドコモの副社長だった津田志郎氏の社長就任を発表。翌年2月、津田氏は早くも社長退任を発表し、ボーダフォンUK社長のウィリアム・モローが社長に就任。現在の津田・モロー体制となった。
サービス面では、J-フォン時代(2000年)に同社が打ち出したカメラ付き携帯電話で撮影した画像をメール送信できるサービス「写メール」が大ヒット。若者層を中心に話題を呼んだ同サービスは、auやドコモでも追従し、現在の携帯電話に必須のサービスとなっている。
だが、写メール以降、同社はヒットに恵まれなかった。2002年に満を持して送り出した3Gサービス「Vodafone Global Standard」も、いつの間にか名称自体が消えてしまった。同社はその後、3Gへの展開を強めるが、津田氏自身が失敗と語る2004年末の世界共通の3G端末はユーザーに響かず、一時は月毎の携帯電話加入者数が純減に転じる苦しい時期もあった。同社では2005年後半からは反転攻勢の年と位置づけていた。
なお、今回の買収で新たな体制となるボーダフォンだが、2005年2月の会見で津田氏は、ボーダフォンの課題の1つとして、東京デジタルホンからJ-フォン、ボーダフォンと短期間に体制が変化したことによる問題を挙げていた。
【2001年】
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【2006年】
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(津田 啓夢)
2006/03/17 22:41
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ケータイWatch編集部 k-tai@impress.co.jp
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